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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

王府時代の道 (15世紀〜1879年)


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道のなりたち

貝塚時代からグスク時代の道

 

道の誕生
 

 道は私たちの暮らしに深く関わり、人々の生活とともに発展してきました。
獣道 けものみち といわれる、猪や鹿が自然につけた通り道があります。人間の通り道も太古の時代においては、獣道とあまり変わらない道であったと考えられます。人間が増えるにつれ、行動範囲が広がり、道が誕生してきました。
沖縄の 貝塚 かいづか 時代(注1)の人々は、海岸近くの 丘陵 きゅうりょう に住みつき、山や川、海へ出かけていって、食糧を得ていました。人々は山野や 海浜 かいひん に日々の かて を求め、道なき道を草木をかき分け、生活のために何度も往き来するうちに、次第に踏み固められた場所が道となったと考えられています。

  山の中にも行き来することにより踏み固められた道ができる
山の中にも行き来することにより踏み固められた道ができる
   
畑へ行く道、ムラとムラをつなぐ道
 

 10〜12世紀頃になると、人々は海岸砂丘から、水場の近くに移り住み、稲や麦などの 穀物 こくもつ を作り、農耕生活を営むようになり、やがて小高い丘や 斜面 しゃめん などに 小規模 しょうきぼ の集落を形成していったと考えられています。
家々が一か所にかたまって集落ができると、その周りに生活の 基盤 きばん となる田畑がつくられ、そこで人々が田畑に通うための農道ができました。そして、牛や馬が農耕に使われるようになると道幅も広くなり、麦や稲を載せた牛馬が山道や農道、 隣村 となりむら や海への道を往復するようになりました。すると牛や馬が通る広さが必要となり、新しい道も開発され、道はさらに発達しました。つまり、生産活動の増加が道の発展の要因になったのです。

  沖縄本島の主要ぐすくと三山
   
グスクと「道」の広がり
 

 農業生産力の向上とともに、共同体としての結束が高まり、集落を 統率 とうそつ する按司(リーダー)が登場しました。この按司の居住地はグスクと呼ばれ、「城」の漢字をあてます。一般的に小高い丘の上にあります。
按司 あじ が力を増すにつれ、これまでの村落と村落を結ぶ道のほかに、グスクと各村落を結ぶ道が新しくつくられたり、従来の道が改修されました。つまり、グスクを中心に各村落が結ばれるようになりました。12世紀から15世紀のこの時代をグスク時代といいます。
やんばるには、国頭グスク( 根謝銘 ねじゃめ グスク)、 親川 おやかわ グスク(羽地グスク)、 名護 なご グスク、 今帰仁 なきじん グスクなどがあります。各地の按司たちは互いに きそ いあい、14〜15世紀にかけて沖縄本島では南から 南山 なんざん 中山 ちゅうざん 北山 ほくざん の三つの地域勢力が形成され、 権力抗争 けんりょくこうそう り広げるようになりました(三山時代)。今帰仁グスクはこの北山王統の居城で、2000年世界遺産(注2)に登録されました。

  今帰仁グスク全景
今帰仁グスク全景
   
   
 
用語解説
(注1)沖縄の貝塚時代
  沖縄における新石器時代の遺跡は 貝塚 かいづか を形成することが多く、前期(前2000〜前800年)、中期(前800〜前200年)、後期(前200〜200年)に分類されている。
(注2)世界遺産
  2000年「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。今帰仁城以外に、 首里城 しゅりじょう 座喜味城 ざきみじょう 勝連城 かつれんじょう 中城城 なかぐすくじょう 園比屋武御嶽石門 そのひやんうたきいしもん 玉陵 たまうどぅん 識名園 しきなえん 斎場御嶽 せーふぁーうたき の九ヶ所。
   

やんばる国道物語(北部国道事務所)

 

   
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