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やんばる国道物語

王府時代の道 (15世紀〜1879年)


(2/12)

宿次のはじまり

琉球王国の誕生と文書伝達

 

琉球王国の誕生と宿次
 

 15世紀の初頭、 尚巴志 しょうはし (注1)によって三山が統一され、琉球王国が誕生しました。尚巴志は首里城を居城とし、首里に王府 (注2)を置きました。

   王府時代には現在でいう市町村にあたる間切ぎりがありました。各間切と王府との緊急連絡には 早馬 はやうま が用いられました。この制度を 宿次 しゅくつぎ といいます。
   宿次については、1713年に王府が 編纂 へんさん した『 琉球国由来記 りゅうきゅうこくゆらいき 』に、「永楽年間(1403〜24)に尚巴志王が琉球国を統一したときに、駅の制度を始められたのであろう」と記されています。 尚巴志は北山の按司・今帰仁の 攀安知 はんあんち を滅ぼし、代わりに北山 監守 かんしゅ を置きました。そして首里城から各間切、あるいは各間切から首里城へと、早馬を走らせる体制(宿次)が生まれたと考えられています。
 
喜名番所(現読谷村喜名)
 
1853年に琉球に来航したアメリカ海軍のペリー提督の琉球島内探検記録『日本遠征記』に収録されているスケッチ。[『青い目が見た大琉球』]
   
陸上交通の幹線・街道
   宿次制度は、現在でいう国道と郵便制度の役割を兼ねていたといえます。
   各間切には 番所 ばんじょ (駅ともいう)と呼ばれる役所が置かれ、王府からの公文書が届けられました。そして番所から次の番所へと公文書が届けられ、沖縄本島中に伝達されるしくみになっていました。この宿次により首里城を起点に各番所へ向かって街道 (注3)がのびていったのです。この街道は 宿道 しゅくみち と呼ばれ、政治的にも、また庶民の陸上交通においても、主要な道だったのです。
 
正保国絵図 しょうほくにえず にみる宿次
(部分:名護、本部、今帰仁、大宜味)
 
国絵図とは統一した規格や制度で詳しく表した国土基本図のようなもので、国単位に描かれた手書きの大型彩色地図です。
国絵図は江戸期に五度調製されていますが、「琉球国絵図」は1609(慶長14)年の島津侵入後に行われた正保国絵図の調整からで、三代将軍家光に1644(寛永21)年に献納されたものです。
絵図の中には色区分の凡例で示した地色の上に間切か島名・石高または間切の内の村名が書かれています。道筋は朱筋でかかれ、太さによって本道と脇道を区分しています。一里ごとに一里塚が朱筋を挟むように黒丸の二点で描かれています。[東京大学史料編纂所蔵]
   
   
 
用語解説
(注1)尚巴志(しょうはし)
  1372〜1439年。第一尚氏王統第二代の王。中山王・武寧を滅ぼし父思紹(ししょう)を中山王とし、その後北山、南山を滅ぼし、三山統一(琉球統一)を果たしました。
(注2)首里王府(しゅりおうふ)
  琉球王国の統治組織のことで、琉球統一を果たした尚巴志が首里城を大改築して王府を置きました。後に官職制がしかれ、組織・機関が整備されました。
(注3)街道(かいどう)
  古代・中世・近世の主要な交通路のことで、日本本土では江
戸幕府が東海道(とうかいどう)・中山道(なかせんどう)・甲州道(こうしゅうどう)・日光道(にっこうどう)・奥州道(おうしゅう)の五街道を主要交通路として整備しました
   

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