内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所
トップページサイトマップお問い合せQ&Aご利用規約
 
 
 トップページ ≫ やんばる国道物語 - 王府時代の道(15世紀〜1879年)


やんばる国道物語


やんばる国道今むかし
王府時代の道
近代沖縄の道
琉球政府時代の道
復帰後の道
21世紀の道
やんばるの伝説を訪ねて
やんばるの文化碑めぐり
道に関する方言名
探索ガイドなるほどマップ

道に関する年表


 

やんばる国道物語

王府時代の道 (15世紀〜1879年)


(7/12)

国頭方西海道 1

読谷山から恩納・名護まで(西海岸ルート 1)

 

歴史の道
 

 王府により宿次が設置されたことにより、道はさまざまな人に利用され、 宿道 しゅくみち として整備されました。宿道はその後、ルート変更や通行できなくなった箇所がありますが、現在でも主要道路として国道や県道に認定されている道筋にあたります。

   この宿道のうち読谷山間切の 喜名 きな 番所(現在の読谷村喜名)から国頭や本部に向かう西海岸の道を 国頭方西海道 くにがみほうせいかいどう といいます。西宿と東宿の宿次が通る街道でした。この国頭方西海道の道筋は山間に入ったり、集落を通ったりで、必ずしも現在の道と重なってはいませんが、コースは現在の国道58号とほぼ重なります。
   国頭は山が多い山越えや谷越えの道、あるいは入りくんだ海岸沿いをたどる険しい道が多く、かつての道筋がはっきりわからない部分もあります。また近代以後の 道路改良、戦後の米軍道路、復帰後の国道整備によってまったく異なった風景となってしまった所も多いことでしょう。
   この歴史の道を現在の道と重ねながらたどってみましょう。
 
比屋根坂石畳道 [恩納村教育委員会]
   
読谷から恩納
   読谷山間切の喜名番所から恩納番所に向かう西海道は、途中までは現在の国道58号とほぼ重なっています。中頭と国頭の境に位置する 多幸山 たこうやま から先は、樹木が しげ る山道で、通る人から持ち物を奪う追いはぎが 出没 しゅつぼつ すると おそ れられていました。恩納の山田から仲泊を経て、恩納間切の恩納番所までは浜道をたどったといいます。
仲泊から発掘された 仲泊遺跡 なかどまりいせき (国指定史跡)からは、王府時代の宿道の一部であった 比屋根坂石畳道 ひやごんびらいしだたみみち (注1)が確認され、当時の姿を伝えています。
   これらの沿線には現在も当時の一里塚や 石矼 いしばし など、貴重な文化財が多く、「歴史の道」として整備保存が進められています。
 
修復された山田さく川の石矼 [恩納村教育委員会]
   
恩納から名護
   恩納間切から名護・羽地間切への宿道は、現在の国道58号とほぼ重なります。
   恩納間切の仲泊港からは近くの間切から 物資 ぶっし が集められ、 とまり 港(現那覇市)に運ばれていました。また、名護の 許田 きょだ 湖辺底 こへんぞこ 港にも上納米が集められ、 奄美 あまみ 薩摩 さつま などに積み出されたといいます。つまり、宿道は宿次以外に、港(注2)へ人や物を運ぶ重要な道でもありました。
   名護間切の許田村から東江村までは、海岸線に沿って曲がり道が続く 難所 なんしょ で、特に 数久田 すくた から 世冨慶 よふけ に向かう海岸線は海岸の岩の上を渡り歩いたといいます。那覇〜名護間の県道が開通したのは1915(大正4)年のことでした。
  国頭方西海道の道
国頭方西海道の道
   
   
 
用語解説
(注1)比屋根坂石畳道(ひやごんびらいしだたみみち)
  この比屋根坂は仲泊の 村屋 むらや (村の役場)から山田の村屋間に位置し、「イユミバンタ」と呼ばれる高台に上るまがりくねった坂。
王府時代の宿次では 取次 とりつ ぎの難所であったといいます。
 
(注2)港(みなと)
  国頭地方の西海岸には 喜瀬 きせ 湖辺底 こへんぞこ 渡久地 とぐち 運天 うんてん 真喜屋 まきや 塩屋 しおや 辺土名 へんとな 辺野喜 べのき 等の大小の港泊があり、特に今帰仁の運天港や本部の渡久地港、名護の湖辺底港などを集散地として 薪炭 しんたん ・木材・米麦などの移出入が行われていました。
   

やんばる国道物語(北部国道事務所)

 

   
内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所 〒905-0019 沖縄県名護市大北4丁目28番34号 [TEL]0980-52-4350 [FAX]0980-52-1131
Copyright(c)2008 北部国道事務所.All right reserved.