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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

王府時代の道 (15世紀〜1879年)


(11/12)

蔡温と公共工事

やんばるの山林と農地

 

治山治水(ちさんちすい)の祖
 

 やんばるを旅するとき、私たちの目を楽しませてくれる松並木や集落内のフクギ並木などは、 尚敬 しょうけい 王代(1713〜1751)に 三司官 さんしかん を務めた 蔡温 さいおん (1682〜1761)によって整備されたものが多いといわれます。

   蔡温は、琉球名を 具志頭文若 ぐしちゃんぶんじゃく といい、中国から琉球に移住した人々の子孫で、中国留学中に学んだ 儒教 じゅきょう 思想や風水地理学を、政治の場で活かしました。林業に関する書物など、多くの書物(注1)を残しています。
 
三司官・蔡温 [『沖縄の道のはなし』]
   
蔡温の河川改修
   蔡温の業績の一つに、1735年、 羽地大川 はねじおおかわ (名護市)を改修して 穀倉 こくそう 地帯を確保したことがあります。羽地内海に注ぐ羽地大川は、名護岳南東 山麓 さんろく に源を発し、かつては20余の支流を抱え、西南方向へ流れる川で、たびたび 氾濫 はんらん を繰り返していました。
   1735年に、大洪水が起こり、流域の水田が荒れはててしまいました。蔡温は約3カ月をかけ、地元羽地間切(現名護市)をはじめ国頭地方全域にわたり、合計10万7380人に 夫役 ぶやく (税としての労働役務)を課し工事を完成させました。その工事は川の逆流地点を直し、 大堤防 だいていぼう を設け、新たに 灌漑 かんがい 水路をひき、四つの橋を設ける大掛かりなものでした。1744年に羽地川を改修したことを記した改修記念の碑が建てられました。下流には羽地ターブックヮーと呼ばれる美田地帯が広がっていました。
 
1950年代の美田が広がる羽地ターブックヮー
(現名護市)[キーストンスタジオ]
   
山の管理を指導
   蔡温は、森林は造船や建築資材や燃料になるだけでなく、 治水 ちすい 灌漑 かんがい の面からも重要であると考え、造林と山林保護に力を入れました。1736年と46年の2度にわたり、中頭から国頭の各間切の山林を視察し、「 杣山 そまやま 法式帳」などを編さんしました。山林の保護育成のための杣山(注2)政策を進め、山林視察には王府の役人が蔡温と同行し、技術的な指導を受けました。
   また、海岸一帯に防潮防風のためアダンや松などを植えました。重要な箇所に松などを植え、伐採を禁止しました。現在も蔡温松と呼ばれる松が残っています。
  改修記念の碑
1830年再建、現在の改修記念の碑は1997年に再々建
   
   
 
用語解説
(注1)蔡温の書物
  蔡温は「 杣山 そまやま 法式帳」「山奉行所規模帳」など7つの森林法令を出しました。これに1869年に示達された「御差図控」を加えて林政八書といいます。他に『家内物語』『御教条』『 簔翁片言 さおうへんげん 』『 独物語 ひとりものがたり 』『自叙伝』など政治・経済・儒学・哲学に関する18の著書があります。
(注2)杣山(そまやま)
  杣山というのは王府時代の山林の形態で、間切や島・村が王府の監督のもとに山林を保護・育成していました。この杣山の材木で王府の需要を満たし、住民の建築・薪炭など必要な木材を許可を受けて伐採することができました。
   

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