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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

王府時代の道 (15世紀〜1879年)


(12/12)

ペリー一行が歩いた道

外国人が記した沖縄の様子

 

ペリー来航とその背景
 

 1840年代になると、琉球への異国船の来航が急増しました。ヨーロッパで 産業革命 さんぎょうかくめい が起こって以後、欧米の国々は市場と 植民地 しょくみんち を求めて多くの船を東アジアにも送り出したのです。

   1853年、 黒船 くろふね で有名なアメリカのペリー 艦隊 かんたい が日本の 浦賀 うらが に来航し、 鎖国 さこく を続ける日本に開国を せま りました。翌54年3月31日、ペリーは 日米和親条約 にちべいわしんじょうやく 締結 ていけつ に成功しましたが、その前後にわたって琉球に6度寄港、滞在しました。同年7月11日、ペリーは王府との間で 琉米修好 りゅうべいしゅうこう 条約(注1)を締結させています。
   ペリーらは、1853年5月30日から6日間にわたって、沖縄本島を調査しました。1856年、アメリカで出版されたペリーの 遠征隊 えんせいたい の航海記録、『日本遠征記』には、琉球の風物や人物等を描いたウィリアム・ハイネ (注2)らの大小48点の 挿絵 さしえ が含まれ、当時の様子を伝える貴重な資料となっています。
   一行の行程を追って、当時の様子を見てみます。
 
ペリー(1794−1858)
 
米国海軍軍人。米海軍の最高階位の大佐となり、蒸気軍艦の普及に努めました。米国の将来の海外発展を予見し、太平洋における足場として沖縄、日本に着眼しました。『日本遠征記』を監修、1856年に出版されました。[『青い目が見た大琉球』]
   
当時の東海道
   那覇 波上 なみのうえ 護国寺 ごこくじ を出発し、首里城、 弁ケ嶽 べんがだけ を経て、 中城湾 なかぐすくわん を見下ろす丘で1日目の夜を迎むかえました。2日目は 中城城跡 なかぐすくじょうせき を経て東海岸を北上し、金武湾に面した間切の番所で宿泊しました。
   3日目は金武湾に沿って東北に進み 金武村 きんむら の番所で一泊しました。海岸沿いの宿道をたどった印象を「深い砂と貝殻の破片の中を2時間も歩いた。それは非常に骨の折れる仕事であった」と記しています。
  ペリーの歩いた行程
ペリーの歩いた行程(1853年)
   
西海岸への山越え
   4日目はしばらく海岸沿いに進んだ後、 漢那 かんな から西海岸に向かって山地を越え、 名嘉真 なかま を経て恩納村の間切番所に泊まりました。金武から名嘉真間の宿道については「路は せま くて 湿 しめ って すべ り……手と足を使って頂上に達し……」と、山越えの道の険しさを伝えています。
   5日目は読谷山間切、 比謝矼 ひじゃばし を経て北谷間切に宿泊し、6日目に那覇に帰着しました。行程は約108マイル(約173キロ)にのぼりました。
   報告書によると、沿道の各所にリュウキュウマツが繁り、石川や金武では並木道も整備されていたといいます。また宿舎となった間切番所も清潔で快適であったと書かれています。
 
ペリー遠征隊の作成した大琉球の地図
(『沖縄歴史地図』柏書房刊より)
   
石畳道路
   遠征隊の1人であったジェイムズ・モロー博士の日記には、集落内や周辺の道路について、次のように記されています。
  「……琉球の道路はきれいに整備されている。道幅は広くて、表面に凹凸がない。道路の両端には 排水溝 はいすいこう が走り、その外側の土手の上には3〜6メートルの間隔を置いて、松並木が走り、遠くから眺めると、2列の見事な緑の流れが山々の頂まで続き、豊かな田園風景の終着点となっている。…市街の道路はヨーロッパ風の石畳道路で、世界のどの国にも劣らず整然としている。……」
  と沖縄の松並木と石畳を描写しています。
   このように外国人の目から見た当時の琉球の道路が高い評価を受けています。
 
日暮れの恩納番所
[『青い目が見た大琉球』高倉幸一氏所蔵]
   
   
 
用語解説
(注1)琉米修交条約
  1854年7月11日、ペリーが琉球王府と結んだ条約。内容は訪琉米人の厚遇 や物資の補給、水先案内など琉米関係の円滑化を目的としています。
(注2)ウィリアム・ハイネ
  ハイネは1827年ドイツのドレスデンで生まれ、アメリカに移住した画家です。琉球滞在中に数百点の琉球と日本の絵を描きました。現在もオリジナル、木版画、石版画として目にすることができます。
   

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