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やんばる国道物語

近代沖縄の道(1879年〜1945年)


(9/11)

名護に初の乗合自動車

自動車時代の幕開け

 

T型フォード、走る
  

 沖縄に初めて 自動車 じどうしゃ が登場したのは、 1916(大正5)年のことです。那覇の大坪商店が 宣伝 せんでん 目的で 購入 こうにゅう しました。新聞社では自動車を借り受けて かざ りたて、花自動車と称して、名護、 泡瀬 あわせ 与那原 よなばる 糸満 いとまん り出すという 派手 はで なイベント を もよお しました。行く先々の 沿道 えんどう は自動車を一目見ようと大変な 人手 ひとで でした。 名護行きの当日は、午前6時半に出発し、午前11時半に 到着 とうちゃく したといいますから、5時間の行程でした。
  翌年の1917(大正6)年、名護出身でアメリカ帰りの 山入端隣次郎 やまのはりんじろう がT型フォードを沖縄県に導入し、同年9月には山入端らが 主催 しゅさい する沖縄自動車株式会社が設立されました。自動車運輸の幕開けでした。街道をさっそうと走る T型フォードの 雄姿 ゆうし は人々の熱い 視線 しせん を浴びました。これにより那覇−名護間が一気に三時間に 短縮 たんしゅく されました。しかし、T型フォードは運転手を ふく めて 五人乗りの小型であり、 高運賃 こううんちん のため、利用者は一部の裕福 な人々に限られていました。その後、同業者が同一路線で競い合うようになり、運賃は大衆化されていきました が、荷物の運送は相変わらず馬車や山原船が利用されていました。

   
嘉手納以北のバス
   県営 鉄道 てつどう かれていない 嘉手納 かでな 以北では本数は少ないものの、数社の バスが運行されていました。那覇−名護間はバスが通れるだけの道幅が確保されていましたが、道のコンディ ションは相当悪いので、決して快適なバス旅行とはいえませんでした。また、途中読谷村喜名でバスのエンジ ンを休ませるため 休憩 きゅうけい が必要でした。名護−那覇間は船便もあ り、船便の方が運賃も安かったので、天候がよければ船を利用する客が多かったといいます。
1921(大正10)年、名護−羽地村 伊差川 いさがわ −国頭村 辺土名 へんとな 間の道路が開通しましたが、この路線でバス運行が始まるのは 33(昭和8)年からでした。さらに、辺土名以北の道路建設はなお手つかずのままでした。一1930(昭和5) 年に企画された沖縄県 振興 しんこう 15箇年計画により、国頭村 宜名真 ぎなま まで道ができたのが37(昭和12)年で、その後、バスの乗り入れも実現しました。それより北の奥までバス路線が走るようになったのは戦後もだいぶ経った、1962(昭和37)年のことでした。
 
  大正10年頃の名護大通り。
アラカキ自動車、南陽自動車の看板が見える(1921年頃)
[『望郷沖縄』]
   
 
  写真は那覇−首里間を走った首里市営バス。昭和10年に創立
[『むかし沖縄』]
   
 
  南陽自動車のA型フォードを囲んで、
三中裏の松並木の所で(1940年)
[『写真集 やんばる100年』]
   
 
  T型フォードに乗って。山入端隣次郎の家族と親戚(1939年)
[山入端一博、名護市史提供]
   

やんばる国道物語(北部国道事務所)

 

   
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