やんばる国道物語
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交通機関の発達とバス
ヒッチハイクからバスへ
沖縄では、戦後しばらくの間、各地に 通行禁止区域 ( つうこうきんし くいき ) があり、住民は、自由にどこへでも好きなように移動することは許されていませんでした。 交通手段も徒歩か米軍トラックの 拾 ( ひろ ) い車(ヒッチハイク)ぐらいなもの で、住民の足として 荷馬車 ( にばしゃ ) の役割は重要でした。また、荷馬車は 戦後 復興事業 ( ふっこうじぎょう ) の道路工事等の 資材運搬 ( しざいうんぱん ) や住民の間の 運送業務 ( うんそうぎょうむ ) にも使われて、 最盛期 ( さいせいき ) には数千台(頭)の荷馬車が沖縄中を 往き来していました。 運転免許の始まりは、米軍 車輌 ( しゃりょう ) の運転手などを行う際に、ライカム (米軍司令部)交通規則に基づいた 運転免許証 ( うんてんめんきょしょう ) (MG免許等)が 発給 ( はっきゅう ) されたものでした。その後、1946年に 民間車輌の運行が開始されると、民政府の工務部陸運課が運転免許を扱うようになり、民間の免許制が始まりました。このように、軍民2種類の免許が有効でした。1953年以降は、民間人も一般外国人も米軍施設外で運転する場合は民免許が必要になりました。
米軍トラックを利用した改造バス1950年〔小湾字誌編集委員会]