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やんばる国道物語

琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)


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アメリカ式道路標識

右側通行、英文標識、マイル表示

 

アメリカ 統治時代 とうちじだい の交通法
  アメリカ統治下の沖縄では、日本本土と反対の車の右側通行が 実施 じっし され ていました。 民政府 みんせいふ が米 軍法 ぐんぽう に ならって自動車の右側通行を定めたのは、琉球民政府令を発令した1947(昭和22)年のことですが、以後、 1978(昭和53)年まで「人は左、車は右」の交通法が実施されました。また、 嘉手納 かでな 糸満 いとまん にはロータリー式の 交差点 こうさてん が造られました。ロータリーは信号を使わない 分岐点 ぶんきてん で、交通 混雑 こんざつ を避けるために造られ、現在も使用されています。
   
マイル表示とメートル
   1956(昭和31)年には、「道路交通取締法」(民立法)が 施行 しこう され、 標識 ひょうしき も定められました。基本的な制度は米国の制度を採用したので、右側通行で交通表示の標識も英文で、速度規制もマイル表示でした。
定められた標識は英語と日本語の二か国語表示となって、アメリカ統治下の交通行政は、民政府 布告 ふこく と民立法との 二本立てで進められることになりました。
日本は、 距離 きょり の単位として、大正期からメートル表示を採用してい ましたが、アメリカはマイル方式(1マイル=約1.6キロ)だったために、戦後の沖縄では、マイル表示が 採用されていました。1959(昭和34)年、沖縄もメートル制が 導入 どうにゅう されたのですが、道路標識は、マイル表示を使うことになりました。
それは、マイルに慣れている人々がマイルとメートルを読み ちが えると、車が 暴走 ぼうそう する危険があると考えたからです。たとえば一号線の場合、 制限 せいげん 速度の 時速 じそく 30マイルはキロにすると48キロになります。 「48キロ」と書かれた標識を、「48マイル」の標識と 勘違 かんちが い すると約77キロにもなり危険です。しかも当時の沖縄は、外国製の車が多く走っていて、スピードメーターはマイル表示が基準でした。そのため沖縄ではしばらくの間マイル方式が採用されていました。
現在、沖縄で使用されているのは世界標準の道路標識です。現在の標識が使用されるようになったのは1968年頃からのことでした。
   
  道路標識はマイルで
  メートル制導入後もマイル使用を主張する新聞記事
(『琉球新報』1959年1月4日)
 
  戦後間もない頃の嘉手納ロータリー(1945年)。 規模の大きなロータリーで、現在は変則的になり、信号も設置されています。[沖縄県公文書館]
 
  車が右側を通行しているコザ(現沖縄市)。
街の看板にも英語が目立っています。(1970年)[町田忍]
   
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