やんばる国道物語
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一号線の整備
アスファルト舗装道の登場
「一号線」は、那覇から 国頭村奥 ( くにがみそんおく ) までの沖縄本島 を 縦 ( たて ) に 貫 ( つらぬ ) く全長123キロの 幹線 ( かんせん ) 道路でした(現在の国道五八号の路線)。 軍道路として整備され、平均道幅は7.32メートル(24フィート)ありました。 この路線は那覇から 読谷 ( よみたん ) までの65キロが 軍道路 ( ぐんどうろ ) で、読谷から名護までは 軍営繕道 ( ぐんえいぜんどう ) (後に軍道に)、名護以北の名護―奥間の58キロが 純政府道路 ( じゅんせいふどうろ ) 、という管理に分かれていました。 軍用道路部分の名護以南の一号線は、DE(米国工兵隊)が工事を行い、ポストエンジニア(米陸軍施設 修繕局 しゅうぜんきょく ) ) が維持管理にあたり、陸軍第一 憲兵隊治安 ( けんぺいたいちあん ) 対策本部の交通課 による交通規制が行われていました。 琉球政府道の管理は、北部、中部、南部の三建設事務所の道路管理課がそれぞれの担当区間の維持管理に当たっていま した。軍用道路部分は、車の通行機能だけが最低保証されている程度の道路構造で、 排水 ( はいすい ) 施設がなく、道路の 冠水 ( かんすい ) や付近の 浸水 ( しんすい ) が絶えませんでした。また、現道沿いに 構造物建造 ( こうぞうぶつけんぞう ) の制限があり、建築許可がなかなかおりないという状況でした。