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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)


(9/15)

念願の北部一周道路

開かれるやんばる

 

辺戸〜奥の道路開通
 

 1962(昭和37)年、1月29日、 辺戸 へど から おく を結ぶ道路が開通し、奥に初めてバ
スが通りました。北部 一周 いっしゅう し道路の一環として着工されたもので、これで一号線が那覇から奥まで開通しました。それまで辺戸から奥へ通ずる海岸沿いの細い道は、 台風 たいふう 大波 おおなみ によって こわ れてしまい、住民は 干潮時 かんちょうじ 干上 ひあ がった海中を行き来するしかありませんでした。
  工事には 莫大 ばくだい な予算が必要でしたが、琉球政府には他に 優先 ゆうせん 事項が山積みで、道路関連事業までは手が回らない状態でした。そのような中、国頭村の 新里善福 しんざとぜんぷく 村長は、道路が開通したら米軍の 演習 えんしゅう 道として 併用 へいよう していいという条件を提示して民政府に話を持ちかけ、米軍工兵隊の協力を 要請 ようせい しました。道のない苦しい村の実情を考えた政治的な 配慮 はいりょ もあったのでしょうか、オグデン 民政府副長官 みんせいふふくちょうかん 決裁 けっさい を経て、工事が着工されました。
  ブルドーザーの 燃料 ねんりょう 代など国頭村の一部負担はありましたが、米工兵隊の 全面的 ぜんめんてき な協力によって辺戸―奥の道路は開通することができました。内陸部の奥の茶園を通るこの道路は、 急斜面 きゅうしゃめん の多い山の 尾根 おね 伝いに走る けわ しい道路でしたが、当時の住民にとっては 唯一 ゆいいつ の道路でした。

   
「夢の一周線」北部一周道路
   1958(昭和33)年に開通していた 安田 あだ 与那 よな の北部横断道路(全長15.8キロ)は、政府道(二号線)に認定され、1962年に 辺戸 へど 奥間 おくま の道路が開通すると、国頭一周線は奥から東海岸の 安波 あは に至る区域が残るのみとなりました。
  工事の方は1959(昭和34)年に着工されていましたが、 なん 工事を きわ め、開通したのは1964年4月のことでした。全長27.5キロの「夢の一周線」といわれた国頭一周線の開通により、1号線と13号線が連結して、沖縄本島一周の 道路網 どうろもう が完結したことになりました。
工事は辺戸―奥(6335メートル)、奥― 楚洲 そす 、安田―楚洲(奥から安田は1万6812メートル)の3工区に分けて行われましたが、 測量 そくりょう 時の最大の なや みはハブの存在でした。なんと100匹以上も 捕獲 ほかく されて、工事現場ではハブの 血清 けっせい をもって作業に当たったそうです。その他ブヨなどにも悩まされました。
工事は長期間に及び、その間には工事現場に咲いたロマンスもあり、いくつかの縁談が成立したという 素敵 すてき な話題が新聞でも取り上げられました。
夢をつなげた一大事業は、このように多くの人たちの努力の結果によって げられました。「陸の 孤島 ことう 」と呼ばれていた国頭村も、りっぱな道が開通したことで山地開発や 観光 かんこう 事業が 振興 しんこう することになりました。
   
 
  国頭村辺戸−奥を結ぶ道路の開通式。中央が当時の高等弁務官キャラウェイ、左は太田政作主席(1962年1月29日)[沖縄タイムス社]
   
 
  沖縄本島一週道路完成記念の記念切手(1963年発行)
   
  北部一週道路の開通
  北部一周道路の開通
   
 
  北部一周道路(13号線)、工事中の安田━奥(1963年)
[『USCAR年次報告書』]
 
  北部一周道路、奥と安田間の開通を祝う(1964年)[沖縄県公文書館]
   

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