やんばる国道物語
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塩屋大橋の完成
夢の架け橋
大宜味 ( おおぎみ ) 村の 塩屋 ( しおや ) 湾は、津波と塩屋集落の間の 入江 ( いりえ ) で、湾の入り口には 宮城 ( みやぎ ) 島があります。王府時代には津波と塩屋の間を渡し舟で 往復 ( おうふく ) していましたが、 湾内 ( わんない ) 一周道路ができると内陸の 大保 ( たいほ ) 集落のほうまで 迂回 ( うかい ) してバスも運行するようになります。1937(昭和12)年には、宮城島との間に宮城橋が架けられました。 湾をつなぐ塩屋大橋の話が出てきたのは1955(昭和30)年のことでした。大宜味村は、民政府へ 陳情 ( ちんじょう ) を繰くり返し、北部地域の 振興 ( しんこう ) に 努 ( つと ) めた当時の琉球政府行政主席 大田政作 ( おおたせいさく ) のもとで、1959(昭34)年、事業が着手されました。村の 請願 ( せいがん ) から4年の歳月を経て、住民待望の夢の 架 ( か ) け橋が実現に向けて動き出しました。
用語解説
(注1)さーばし
塩屋は、方言では「さー」と呼ばれています。田港・屋古に対して「下方」という意味です。ペリーが作った海図では「SHAHBAY」(シャーベイ)とされています。