いまから二百余年前、伊江島西江前(に島村カナヒーという文子((番所の書記)がおりました。彼は伊江按司(家に仕えていましたが、按司が年頭使(になって薩摩(へ行くことになり、島村は随員(に加えられました。
薩摩は寒いところなので、綿(入れの衣類が必要となり、その仕度のため綿栽培(の盛んな国頭間切辺土名へ渡ります。そこで、土地の娘カマド小(芝居ではハンドー小)と出会い、すぐに恋仲になりました。辺土名のカマド小は美人で、村の若者が何人も求婚(していましたが、断り続けていました。
しかしカナヒーは、カマド小の容姿(にひと目惚(れをし、カマド小も自分の理想の男性が現れたことに喜んで、二人の恋は急激(に燃えあがりました。ところが、カナヒーには伊江島に妻子がいたのです。
ある日、カナヒーは辺土名にやってきた叔父に、伊江島へと連れ戻されてしまいました。事がことだけに、カマド小にひとこともありません。残されたカマド小は事情が分からず悩み苦しみました。いとこのマチ小に 「あんたは捨てられたのよ。よそ島の人はあきらめなさい」とさとされますが、カマド小はあきらめることができません。
そこで、カマド小は、伊江島からやってきた船頭主(に事情を話して、一緒に伊江島へ渡ったのです。しかしカナヒーは、はるばる辺土名からたずねてきたカマド小と会おうとはせず、冷たくあしらいました。
カマド小は愛する人の冷たい仕打ちに絶望して、島の中心にある城山(へ登り、自害(してしまったそうです。その後、伊江島の島村屋の一族は、次々死に絶えましたが、船頭の一家は栄えたということです。
この伝承を下敷きとして作られたのが、名作歌劇「辺土名ハンドー小」(真境名由康作、一九二四年上演)です。劇中に出てくるハンドー小(カマド小)の亡霊のエピソードや島の青年たちの非情な仕打ち以外は、ほぼ事実であると言われています。
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