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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

やんばるの伝説をたずねて


 (2/23)

辺土名ハンドーグヮー物語

(国頭村)

 

 いまから二百余年前、伊江いえ西江前にしえまえに島村カナヒーという文子てぃくぐ(番所の書記)がおりました。彼は伊江按司あじ家に仕えていましたが、按司が年頭使ねんとうしになって薩摩さつまへ行くことになり、島村は随員ずいいんに加えられました。

 

 薩摩は寒いところなので、綿わた入れの衣類が必要となり、その仕度のため綿栽培めんさいばいの盛んな国頭間切辺土名へ渡ります。そこで、土地の娘カマド小(芝居ではハンドー小)と出会い、すぐに恋仲になりました。辺土名のカマド小は美人で、村の若者が何人も求婚きゅうこんしていましたが、断り続けていました。

 

 しかしカナヒーは、カマド小の容姿ようしにひと目れをし、カマド小も自分の理想の男性が現れたことに喜んで、二人の恋は急激きゅうげきに燃えあがりました。ところが、カナヒーには伊江島に妻子がいたのです。

 

 ある日、カナヒーは辺土名にやってきた叔父に、伊江島へと連れ戻されてしまいました。事がことだけに、カマド小にひとこともありません。残されたカマド小は事情が分からず悩み苦しみました。いとこのマチ小に 「あんたは捨てられたのよ。よそ島の人はあきらめなさい」とさとされますが、カマド小はあきらめることができません。

 

 そこで、カマド小は、伊江島からやってきた船頭主しんどぅすーに事情を話して、一緒に伊江島へ渡ったのです。しかしカナヒーは、はるばる辺土名からたずねてきたカマド小と会おうとはせず、冷たくあしらいました。

 

 カマド小は愛する人の冷たい仕打ちに絶望して、島の中心にある城山ぐしくやまへ登り、自害じがいしてしまったそうです。その後、伊江島の島村屋の一族は、次々死に絶えましたが、船頭の一家は栄えたということです。

 

 この伝承を下敷きとして作られたのが、名作歌劇「辺土名ハンドー小」(真境名由康作、一九二四年上演)です。劇中に出てくるハンドー小(カマド小)の亡霊のエピソードや島の青年たちの非情な仕打ち以外は、ほぼ事実であると言われています。

 


辺土名の集落

 


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