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やんばる国道物語


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やんばる国道物語

やんばるの伝説をたずねて


 (11/23)

許 田 の 手 水

(名護市)

 

 名護市街地の入り口に位置する許田きょだの集落は、かつて難所なんしょだった名護の七曲ななまがりをしのばせる、ゆるやかな美しい入江に面して、静かにたたずんでいます。

 

 「名護六百年史」によると「昔は許田の渡しにも舟も架橋かきょうになかった。旅人は内海沿いに福地・古知屋又の宿を遂に迂回うかいして行った。

 

 入江の口から二町にちょうばかり、村はずれの往来に樋川ひがわがあって、昔も今も村人の用水に使われている」と紹介されています。この樋川が、有名な「許田の手水」の伝説の舞台です。

 

 その昔、首里からやんばるへ向かう旅の途中の若いさむらいがいました。許田へ差しかっかたころ、のどがかわいたのでどこかに井戸はないかと道中の人にたずねると、近くの森の下に樋川があることを教えられます。

 

 急いで樋川に行くと、美しい村の娘が水をんでいました。侍は思わず「娘さん、のどがかわいたのであなたのその手で水を汲んで飲ませてくれませんか」と、手水をお願いしました。

 

 どこの誰かもしらない旅人に、しかも手水で・・・娘は顔を赤らめて、断ってしまいました。

 

 若い侍はそれでもあきらめきれずに何度も頼むと、やがて娘ははずずかしそうに、その侍に樋川の水を両手で差し上げました。首里から帰ってからも、その侍は許田の手水の娘のことが忘れられず、とうとうその娘を首里に呼んで妻にしたと伝えられています。

 

 このロマンスにあやからろうと、各地から若い男女が許田へ訪れ、許田の手水の伝説は有名になりました。

 

 国文学者の平敷屋朝敏へしきやちょうびん(1700〜1734)は「許田の手水」の民間伝承みんかんでんしょう感激かんげきして、戯曲ぎきょく「手水の縁」を書きあげました。「手水の縁」は組踊くみおどりの古典として現在でも上演されています。

集落の北側の丘にある許田の手水

 


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