天才歌人・恩納ナベの生没は謎(に満ちています。18世紀頃の伝説上の女流歌人で、恩納ムラの出身ということから、”恩納ナベ(”と呼ばれています。沖縄文化の黄金期時代を代表する歌人として広く知られています。
生家は、現在の恩納村役場前の国道58号を渡った集落の一角にあったそうです、農民が学問を修めることが許されない時代において、ナベの作る歌はずば抜けて雄大(で天性の素質を感じさせるみごとな作風は、時代を超えて多くの人々は感動させています。
1726年、琉球王朝の尚敬王(は、北部巡視(の祈りに、恩納の万座毛(に立ち寄りました。そのとき村人は臼太鼓(で歓迎しました。
ナベはその臼太鼓のリーダーであったと伝えられています。史実としての根拠(は確かではありませんが、万座毛での国王歓待で詠(んだ有名な歌があります。
波の声も止まれ( 風の声も止まれ(
首里天加那志( 御機嫌拝(ま
緑深い恩納岳や、美しい大海原を前にした恩納の大自然が、恩納ナベの豊かな感性を育てたのは間違いないでしょう。このように大胆(にして自由奔放(熱情(的な歌は、首里王府にも届いて、当時の首里の琉歌人たちの度肝(をぬいたのです。
恩納ナベの歌として集められた名歌には、
恩納松下(に 禁止の碑の立(ちゅす 恋(しの(ぶまでの( 禁止(やな(いさめ(
よ(かて(さめ姉(べ 神遊(しち遊で( わすた世(になれ(ば お(とめ(されて(
姉部達やよかて 神遊為(ち遊で( わし達世(になれ(ば お(とめ(されて(
恩納岳彼方( 里(が生(まれ(島森もお(しのけて( こ(がたなさな
|