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やんばるの伝説をたずねて


 (14/23)

天 才 歌 人  恩 納 ナ ベ

(恩納村)

 

 天才歌人・恩納ナベおんなナビーの生没はなぞに満ちています。18世紀頃の伝説上の女流歌人で、恩納ムラの出身ということから、”恩納ナベナビー”と呼ばれています。沖縄文化の黄金期時代を代表する歌人として広く知られています。

 

 生家は、現在の恩納村役場前の国道58号を渡った集落の一角にあったそうです、農民が学問を修めることが許されない時代において、ナベの作る歌はずば抜けて雄大ゆうだいで天性の素質を感じさせるみごとな作風は、時代を超えて多くの人々は感動させています。

 

 1726年、琉球王朝の尚敬王しょうけいおうは、北部巡視じゅんしの祈りに、恩納の万座毛まんざもうに立ち寄りました。そのとき村人は臼太鼓うすだいこで歓迎しました。

 

 ナベはその臼太鼓のリーダーであったと伝えられています。史実としての根拠こんきょは確かではありませんが、万座毛での国王歓待でんだ有名な歌があります。

 

  波の声も止まれなみぬくぃんとぅまり 風の声も止まれかじぬくぃんとぅまり

  首里天加那志しゅいてぃんがなし 御機嫌拝みうひちうが

 

 緑深い恩納岳や、美しい大海原を前にした恩納の大自然が、恩納ナベの豊かな感性を育てたのは間違いないでしょう。このように大胆だいたんにして自由奔放ほんぽう熱情ねつじょう的な歌は、首里王府にも届いて、当時の首里の琉歌人たちの度肝どぎもをぬいたのです。

 

 恩納ナベの歌として集められた名歌には、

 

 恩納松下うんなまちした 禁止の碑の立ちじぬふぇぬたちゅす くいぶまでのでぃぬ 禁止ちじいさ

 てぃめ姉みあに 神遊しぬぐしち遊であすぃでぃ わすたにな れてりてぃ

 姉部達やよかて 神遊為しぬぐし遊であすぃでぃ わし達世たゆにな れてりてぃ

 恩納岳彼方うんなだきあがた さとぅ島森もおじまむいんうのけてぬきてぃ がたなさな

 

 −など数多くあります。

 

 天才女流歌人恩納ナベは、いにしえの 封建 ほうけん 社会にあって、大らかに生きた沖縄女性の典型として、いつまでも語り がれていくことでしょう。

 

万人が座ることができるといわれたことから

その名が付けられた万座毛

 


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