16、7歳になると、チルの美しさと歌の才能は、首里の身分の高い
侍
たちの評判となり、チルは毎夜通う侍相手に歌のやりとりを楽しんだようです。
昔の遊廓は、単なる男たちの遊び宿というだけではなくて、歌を
媒介
(
にした上流層の社交の場であったといいます。チルは
上句
(
を自分が詠んで、
下句
(
を返さなければ相手にしなかったので、侍たちはさらに琉歌の勉強を重ねて、チルのもとに通ったといわれています。
そんな生活のなか、チルはある侍と出会います。チルはその侍に「流りゆる水に 桜花うけて」上句を詠んでみました。すると侍は『色美らさあてど すくて見ちゃる」と下句を返しました。その人物こそ、のちの恋人
仲里里之子
(
でした。
琉歌の才覚があって、教養豊かな仲里里之子とチルは、しだいに深い愛情で結ばれるようになりました。
そんなところに現れた、大金持ちで「黒雲殿」と呼ばれる男でした。遊郭の経営者に大金を積んだ黒雲殿は、強引にチルの相手に迫ります。大金に目がくらんだ経営者も、チルに無理強いをします。
チルは悲しみと絶望(のあまり食を断ち、やがて栄養失調(となり悶死(したとも、波の上から身投げしたとも言われますが、わずか18歳ほどで悲劇的な死を遂げたのでした。
後生に伝わるチルの琉歌には、和歌の影響を受けた
掛(けことば、緑語や独自の美意識(が特徴で技巧(的で深い叙情(があります。「美人薄命」とは天才女流歌人・吉屋チルのことを言うのでしょう。 |