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やんばる国道物語


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やんばるの伝説をたずねて


 (16/23)

多幸山のフェーレー

(恩納村)

 

 昔、多幸山は中頭の喜名番所きなばんじょからやんばる方面に抜ける国頭方西海道のけわしい山道でした。およそ5キロにわたる街道は、昼なお暗く樹木が天をおおっていたと伝えられています。もちろんあたりに民家は一軒もなかったといいます。

 

 その旧街道に「石くびり」というところがあり、大岩が両側にそばだっていました。その岩こそフェーレー(追いはぎ)が出没したという伝説の場所で、フェーレー岩と呼ばれていました。

 

 長いさお先にかぎをつけて、岩の間の道を通る旅人の頭に載せた荷をひったくったり、男の旅人の場合は道に立ちふさがって刀を抜き、力ずくで強奪ごうだつしたといいます。山原街道の一大難所なんしょとして旅人の最も恐れる場所で、次の歌われていました。

 

  多幸山たこうやま フェーレーてぃんどー

  喜名番所きなばんじゅ とぅ まらないやー

  いなぐ ぬてぃらん 番所ばんじゅ とぅ まいみ

  へー むら かかり

 

 多幸山にはフェーレが出るというから喜名番所に泊まっていこう。

女ともあろうものが番所に泊まるか。それより早く村につきなさい、という意味です。

 

 フェーレは恐ろしい強盗ごうとうではありましたが、殺人の伝説は伝わっていません。このフェーレ退治について次のような伝説がのこっています。

 

 それはフェーレの被害に困った王府が計画したもので、一人の女性に大きく重い石を風呂敷ふろしきにつつんで頭上に載せて日暮れ時にフェーレ岩の横を通るというものでした。

 

 女性をみつけたフェーレが「しめた」と竿鉤さおかぎで風呂敷包みの中の石の重みにひっぱられてフェーレが岩上から落ちてきました。そこを離れて様子を見ていた役人に捕まったということです。

 

 1908(明治41)年ごろ、旧街道のおよそ数百メートル東側の谷を通って県道が開設されると、このフェーレー岩を通る人はいなくなりました。山田集落の西はずれから左折し、南側の旧街道を入ると山中にフェーレー岩を通る人はいなくなりました。

 

 山田集落の西はずれから左折し、南側の旧街道を入ると山中にフェーレ岩、真栄田の一里塚いちりづかなどの史跡しせきが残っています。

現在のフェーレー岩周辺

 


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