琉球の三山分立時代、今帰仁城主の攀安地(の家来に本部大主がいました。本部大主がいました。本部大主がいました。本部大主は、「必ずや今帰仁城を自分の天下にするぞ」と誓い、攀安地を滅(ぼして、城の実権を握ったといわれています。
滅ぼされた攀安地には1人の若按司(がいましたが、乳母(に抱かれて城を逃れていました。彼は人目のつかないところで育てられ、後に自分の出自を知り「憎(き本部大主、きっと親の仇(をとってやるぞ。いまに見ておれ」と決意したそうです。
若按司は金武間切屋嘉村に「火鏡」があることを知り、これを手に入れて、城を焼きうちにしようと計画を立てました。
若按司は百姓(に変装して屋嘉殿内(に下男として住みこみました。屋嘉殿内は、村屈指の旧家でした。また屋嘉殿内には美しい娘がいて、すぐに若按司と恋仲になりました。
しばらくたって、屋嘉殿内の家族が物見遊山に出かけることになったある日、若按司は病をよそおい、家で休むことになりました。
若按司に恋している娘は、家に残り、看病していました。二人きりになると若按司は、「あなたの家には火鏡があるということだが、わたしに見せてくれないか」と頼みました。娘は、家族が留守でもあり、好きな人の要望にこたえることにしました。
若按司は、娘が持ってきた火鏡を、すばやく自分が持ってきたにせ物の火鏡と取り替えたのです。
若按司はその夜、この家を抜け出して、各地にちらばって決起を待っていた従臣(を集めると、さっそく今帰仁城を焼きはらい、親の敵であった本部大主を打ち今帰仁城主を打ちとり今変仁城主になったそうです。
屋嘉では今も語り継(がれている伝説です。 |