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やんばる国道物語


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やんばるの伝説をたずねて


 (20/23)

屋 嘉 殿 内 の 火 鏡

(金武町)

 

 琉球の三山分立時代、今帰仁なきじん城主の攀安地はんあんちの家来に本部大主がいました。本部大主がいました。本部大主がいました。本部大主は、「必ずや今帰仁城を自分の天下にするぞ」と誓い、攀安地をほろぼして、城の実権を握ったといわれています。

 

 滅ぼされた攀安地には1人の若按司わかあじがいましたが、乳母うばに抱かれて城を逃れていました。彼は人目のつかないところで育てられ、後に自分の出自を知り「にくき本部大主、きっと親のあだをとってやるぞ。いまに見ておれ」と決意したそうです。

 

 若按司は金武間切屋嘉村に「火鏡」があることを知り、これを手に入れて、城を焼きうちにしようと計画を立てました。

 

 若按司は百姓ひゃくしょうに変装して屋嘉殿内やかどぅんちに下男として住みこみました。屋嘉殿内は、村屈指の旧家でした。また屋嘉殿内には美しい娘がいて、すぐに若按司と恋仲になりました。

 

 しばらくたって、屋嘉殿内の家族が物見遊山に出かけることになったある日、若按司は病をよそおい、家で休むことになりました。

 

 若按司に恋している娘は、家に残り、看病していました。二人きりになると若按司は、「あなたの家には火鏡があるということだが、わたしに見せてくれないか」と頼みました。娘は、家族が留守でもあり、好きな人の要望にこたえることにしました。

 

 若按司は、娘が持ってきた火鏡を、すばやく自分が持ってきたにせ物の火鏡と取り替えたのです。

 

 若按司はその夜、この家を抜け出して、各地にちらばって決起を待っていた従臣じゅうしんを集めると、さっそく今帰仁城を焼きはらい、親の敵であった本部大主を打ち今帰仁城主を打ちとり今変仁城主になったそうです。

 

 屋嘉では今も語りがれている伝説です。

田んぼと屋嘉集落

 

 

この伝説の中は、誤伝があるため、参考までにメモを付したい。史実としては三代目今帰仁世の主の代に、家臣の本部大主の謀反によってグスクを明け渡し、遺児千代松こと丘春によって本部大主は滅ぼされた。城主となった丘春は、怕尼芝に滅ぼされ「中北山時代」は終わる。怕尼芝の後を継いだのがa王である。在位五年のa王亡きあと三代目王統に就いたのが攀安地である。

 

前記の伝承では、攀安地を打倒したのが本部大主に打たれた世の主の子(若按司=丘春)となっているが、攀安地は中山の尚巴志に攻められ滅亡したというのが真相のようである。攀安地を裏切り、中山側に加担したのが本部大腹であった。


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