石川市伊波の屋号(「金細工」には、代々受け継がれてきた「金細工鍛冶(道具」があり、市指定文化財にもなっています。琉球舞踊の有名な雑踊(り「金細工」の由来の人物である「テーファー加那」の遺品と言われています。
代々鍛冶屋であった「金細工」の息子として生まれ育った加那は、美男子で明るい性格の持ち主で、そのひょうきんぶりから「テーファー加那」と言われて、みんなの人気者でした。
加那は、20歳頃に、首里の士族である知念殿内(へ奉公人(として勧めることになります。そこでも持ち前の人気ぶりを発揮して、殿内の主人のお気に入りとなり、お共(で遊郭(にも遊びにいくようになります。遊郭のジュリ(遊女)たちにも、加那はたいそうもてた様子で、周囲の遊び仲間が嫉妬(するほどでした。
ところで主人には年頃の娘がいたのですが、その娘も密(かに加那に思いを寄せるようになります。それを知った主人は、娘の将来を考えて、あわてて加那と同じく知念間切志喜屋(から奉公に来ていた女中を引き合わせて強引に夫婦にしてしまいました。
加那は、最初に嫌がったそうですが、主人は志喜屋に屋敷を与えて、結局二人は晩年までその家で暮らしたそうです。結局遺骨(として加那が伊波に戻った大正時代のことでした。
実在の人物である加那のテーファーぶりは後世にも伝えられて、明治10年代後半には、時の沖縄芝居の名優・玉城盛重(が創作した雑踊り「金細工」となります。今でも雑踊りの傑作のひとつといわれている一曲です。登場人物の若い男女が入り交じって楽しく展開するので、「打ち組み踊り」とも呼ばれています。
金細工の加那兄(が、田植えのすんだあとの田舎のクシユクイ(腰休め)に連れてきた遊女真牛(をひと月も連れまわして、遊びほうけた末に再び遊郭へ戻っていくという内容の歌と踊りで、テンポの早い「金細工節」にのせて、軽やかでコミカルに踊りはすすみます。
一.んさとまじりぬ いふぁぬ かんぜぇくうぬ
てぃふぁー加那ひいが せるくとぅや
二.辻ぬとぅちぬ真牛( 島ぬにいせたん あんねなしくに 引ちくさい
三.いぇー加那ひぃ ちゅちち 三十日 なるまでぃ
わんがかねえや いちゃしくぃゆが
四.しわすな真牛 うやぬゆじりぬ ふーちんあいんよ
金がんあいんよ うり売てぃアンマー ひーせすんてぇ
訳詞
「美里村伊波の鍛冶屋のテーファー加那兄がやってしまったことってば、辻にいたモーサを島の青年達にも知らせないで引連れまわしている。ねぇ加那兄、一月にも30日にもなるのに、わたしの身請けのお金はどうしてくれますか。心配しなくてもいいよ、モーサ。親から譲り受けたフイゴもあるし、かなとこもあるし、それを売ってアンマーには返済するつもりだよ」 |