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やんばる国道物語


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道に関する年表


やんばる国道物語

道に関する年表


本書区分 時代区分 年号 主な出来事
    10世紀〜 山下洞人などが居住する
港川人などが居住する
      集落が形成され、道が形成されていった




 

 

 

 

 

 

14世紀頃 グスクを中心に各村落が結ばれていった
  沖縄本島では南山・中山・北山の3つの勢力に分かれ対立



 

 

 

 

 

 

1429年 中山の尚巴志しょうはし(第一尚氏王統)が三山を統一。琉球王国の誕生。間切まぎりの番所に宿次しゅくつぎを設置し、街道が整備される。
  各番所に宿次を設置、駅の制度をはじめる
1451年 那覇に約1キロの長虹提(海中道路)を築く
1470年 金丸が王位につき尚円しょうえんとなる(第二尚氏王統)


1521年 守礼の門から真玉湊まだんみなとへの石畳道(真珠道)が整備
1526年 尚真王しょうしんおうが地方の按司あじを首里城下に集めた
1597年 浦添から首里にいたる道路開通


1603年 徳川家康、江戸に幕府を開く
1609年 薩摩(現鹿児島県)が琉球に攻め入り、琉球は薩摩の支配下に置かれる。
道程標としての一里塚が設置される
1611年 薩摩への上納、掟(15条)を令達
1644年 間切や宿次などが記載された琉球の古地図、正保国絵図が作成される
1666年 羽地朝秀はねじちょうしゅう、摂政となり、諸改革を行う
  伊野波いのは間切(翌年本部もとぶ間切に改称)が新設
1673年 恩納おんな間切、久志くし間切(現名護なご市)設置される
1673年 田港みなと間切(後に大宜味おおぎみ間切に改称)新設
1688年 羽地はねじ間切の西側から東の瀬高村への横断道ができる


1728年 蔡温さいおん、三司官となり、諸改革を行う
1735年 羽地大川流域で大水害が起こる。蔡温が河川改修を行う

1853年

アメリカのペリー艦隊が沖縄に来航。日米和親条約を締結
1854年 ペリー一行は沖縄本島を踏査し、恩納番所に宿泊
1868年 明治維新




 

 

 

 

 

 

 

 

 

1872(明治5)年 琉球藩設置
1879(明治12)年 琉球処分(廃藩置県)
1881(明治14)年 上杉県令本島北部を巡回
1884(明治17)年 那覇−首里間の街道修理が行われた
1893(明治26)年 笹森儀助ささもりぎすけ沖縄を訪問。やんばるを踏査 
1896(明治29)年 名護―那覇間に船の定期航路が開設
1897(明治30)年 村民により金武きんの七日浜の道が改修される


1902(明治35)年 初めて客馬車が那覇―首里しゅり間で開通
1908(明治41)年 道路の左側通行を定められる国頭街道17里33町県道に編入
沖縄県島嶼とうしょ町村制が施行
1912(明治45)年 国頭くにがみ宜名真ぎなまの「もどる道」当山正堅とうやませいけんが開削



 

 

 

1914(大正3)年 道路組合郡道7路線が計画される
鉄道が登場(那覇―与那原よなばる
1915(大正4)年 国頭街道(那覇―名護―羽地―今帰仁なきじん)開通 
東江兼久あがりえかねくに乗合馬車のターミナルが設置
1916(大正5)年 沖縄にはじめて自動車が登場
1917(大正6)年頃 伊地いじ与那よな間(与那高坂よなたかひら)に村道を開く
山入端隣次郎やまのはりんじろうらが沖縄自動車株式会社を設立
1918(大正7)年 名護―瀬高の横断道路開通
金武―安冨祖あふそ線開通       
第一次世界大戦後、恐慌強まる(ソテツ地獄)
1920(大正9)年 大宜味おおぎみ村と国頭村境に大国おおくにトンネル完成
1921(大正10)年 郡道名護から国頭村辺土名へんとなまで開通
1922(大正11)年 県営鉄道嘉手納かでな線開通
1924(大正13)年 今帰仁の運天うんてん港の出入り口にトンネルが開設



1930(昭和5)年 沖縄県振興十五ヵ年計画案に辺土名から奥まで県道計画が盛り込まれる
1931(昭和6)年 石川橋を架設
1935(昭和10)年 辺土名から宇嘉うかまで開通
1937(昭和12)年 日中戦争勃発 
座津武ざつんトンネルが開削
県道国頭村宜名真まで通ずる
宮城島・津波間に初めて橋(宮城橋)がかかる
1941(昭和16)年 太平洋戦争勃発
1944(昭和19)年 10月10日、大規模な空爆受ける(10・10空襲)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1945(昭和20)年 4月1日、米軍が沖縄本島中南部に上陸
1945(昭和20)年 6月23日 日本軍の組織的戦闘の終結
石川で沖縄諮詢会が開かれる
1946(昭和21)年 民間車輌の運行開始
沖縄諮詢会は沖縄民政府とな
1947(昭和22)年 沖縄全島の昼間通行許可
琉球民政府令で自動車の右側通行を定める
公共交通機関としてのバスが登場
1949(昭和24)年 琉球政府直営から民営トラック会社が設立
1950(昭和25)年 民間バス会社が設立
1951(昭和26)年 サンフランシスコ対日講和条約調印
「沖縄群島道路条例」公布。軍道路が指定
沖縄で本格的アスファルト舗装工事が始まる
1952(昭和27)年 米民政府の下に琉球政府設立
「沖縄道路法」が制定される
米国陸軍予算による1号線の道路建設工事施工が発表される
1953(昭和28)年 土地収用令公布
1954(昭和29)年 那覇〜名護間の西海岸1号線の舗装工事完成
1956(昭和31)年 「道路交通取締法」が施行、標識が定められた
1958(昭和33)年 安田あだ―与那の横断道路が2号線に認定
1959(昭和34)年 国頭村辺戸へど〜奥の道路新設工事着工


1960(昭和35)年 チリ地震によるチリ津波が沖縄本島を襲う
1962(昭和37)年 国頭村辺戸〜奥の道路が完成開通(6.5km)
1963(昭和38)年 屋我地やがち大橋(再建)開通。塩屋大橋開通
1964(昭和39)年 国頭村奥〜安田道路開通。全島一周線完成
1966(昭和41)年 新道路法制定
1967(昭和42)年 米軍一号線の改修舗装工事完成
1968(昭和43)年 三年計画で世界標準の道路標識となる
1969(昭和44)年 佐藤・ニクソン会談で沖縄の72年返還決まる


1970(昭和45)年 名護町、屋部やぶ村、羽地村、屋我地村、久志村の5町村合併、名護市となる
1972(昭和47)年 1号線などの軍道を政府道に認定

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1972(昭和47)年 本土復帰に伴い政府道が国道と市町村道に認定
1973(昭和48)年 北部一周線道路改良舗装工事
与那トンネル開通、全長159m
1974(昭和49)年 国道58号の工事現場から仲泊なかどまり遺跡が発見
1975(昭和50)年 国道58号許田〜名護間4車線拡巾整備完成
本部大橋(352m)開通
国際沖縄海洋博覧会開催
自動車専用道路(名護―石川間)開通
1978(昭和53)年 7月30日交通方法変更事業(730)沖縄
県の交通方法が「車は左、人は右」へ変更


1981(昭和56)年 国頭村で新種の鳥「ヤンバルクイナ」命名
1982(昭和57)年 国道329号・金武大橋供用開始
国道58号・宜名真―奥の道路改築工事完成
1983(昭和58)年 東村に慶佐次けさじ大橋(152m)開通
宜名真トンネル(1045m)開通
1984(昭和54)年 国頭で新種昆虫「ヤンバルテナガコガネ」命名
1986(昭和61)年 国道58号、名護バイパス開通
国道58号・辺土名トンネル(175m)開通
1987(昭和62)年 海邦国体開催
沖縄自動車道(石川―那覇間)開通
辺土名バイパス道路開通
国頭村楚洲そす橋(265m)開通
1988(昭和63)年 今帰仁村呉我山ごがやまトンネル(306m)開通



 

 

 

 

 

 

1989(平成元)年 国頭村ウテンダトンネル(322m)開通
今帰仁村乙羽おっぱトンネル(361m)開通
金武屋嘉トンネル(524m)開通


1990(平成2)年 大宜味拡幅工事完成
1991(平成3)年 名護横断道路開通
1994(平成6)年 伊差川いさがわバイパス全線開通。
石川トンネル完成
1995(平成7)年 新与那トンネル(559m)開通
県内初の「道の駅 許田」オープン
1999(平成11)年 新塩屋大橋(再建)開通式
「道の駅 おおぎみ」「ゆいゆい国頭」オープン


2000(平成12)年 沖縄サミット開催
2003(平成15)年 石川バイパス開通。
   
   

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