国営沖縄記念公園  首里城地区


歩み

〜4回甦った首里城〜

1950年(昭和25)に戦後焼失した首里城跡地に政府立琉球大学が創設され、1970年(昭和45)に琉球政府文化財保護委員会が、戦災文化財として首里城の復元構想を提案し、そして、1973年(昭和48)には 「首里城復元期成会」が発足し、沖縄県民の間で首里城の復元が活発に議論されるようになりました。

1979年(昭和52)に琉球大学が西原町のキャンパスに移転したことにより、その跡地利用計画が次々と策定されました。

1986年(昭和61)には沖縄の復帰記念事業として首里城跡地を「国営沖縄記念公園首里城地区」として整備することが閣議決定され、その周辺を県営公園として整備することが庁議で決定されました。その後、復元のための各種調査や設計業務が行われ、これらの調査・設計に基づいて正殿とそのまわりの建物、城門、石積、園路、植栽などの復元整備工事が進められたのです。

1992年(平成4)11月3日に正殿等を含む主要建物を一部開園し、これまで計9回の部分開園を経て、2019年(平成31)2月に全ての国営公園区域(4.7ha)を全て開園しました。しかし、2020年(令和元)10月31日未明に発生した火災により正殿等9つの主要施設が焼失しました。

第1期
年代不明 創建
1453年 王位継承を争う「志魯・布里(しろ・ふり)の乱」により焼失
第2期
年代不明 再建
1609年 島津侵入
1660年9月 失火により首里城全焼。王宮の機能は余儀なく大美御殿に移転され、王国最大のイベントである冊封も1663年大美御殿で行われた。
第3期
1671年2月 再建
1709年11月20日 首里城は全焼した。失火が原因と思われる。
第4期
1712〜15年 再建
1879年 琉球処分
1945年 沖縄戦でアメリカ軍の砲火をあび、首里城は灰塵に帰した。
第5期
 1973
(昭和48)
「首里城復元期成会」が結成される。
 1982
(昭和57)
第2次沖縄振興開発計画に整備を検討することが位置づけられる。
 1985
(昭和60)
政府予算案に首里城正殿等基礎調査費が計上される。
 1986
(昭和61)
首里城跡地約4haを「国営沖縄記念公園首里城地区として整備することが閣議決定される。
 1987
(昭和62)
首里城公園(約17.8ha)が都市計画決定される。
首里出張所設置
首里城公園都市計画事業承認(建設省告示第1687号)S62.10.5〜H3.3.31(首里城地区)
 1989
(平成元)
首里城正殿建築工事の起工式及び木曳式を実施
 1992
(平成4)
都市公園の設置の告示(建設省告示第1749号)(首里城地区)
首里城公園供用開始(約1.7ha)
 1995
(平成7)
入園者500万人達成
 1996
(平成8)
都市計画事業承認(国土交通省告示第445号)S62.10.5〜H15.3.31(首里城地区)
 1997
(平成9)
歓会門、久慶門内側周辺一部追加供用(0.1ha追加)
入園者1,000万人達成
 2000
(平成12)
入園者1,500万人達成
九州・沖縄サミットの社交夕食会が首里城で行われた。
首里城跡の世界遺産登録
 2002
(平成14)
入園者2,000万人達成
 2003
(平成15)
都市計画事業承認(国土交通省告示第355号)S62.10.5〜H20.3.31(首里城地区)
京の内一部供用(0.7ha)
 2006
(平成18)
入園者3,000万人達成
 2007
(平成19)
書院・鎖之間完成(0.1ha)
 2008
(平成20)
書院・鎖之間庭園完成(0.1ha)
 2010
(平成22)
入園者4,000万人達成
 2010
(平成22)
淑順門供用(0.1ha追加)
 2014
(平成26)
黄金御殿・寄満・近習詰所、奥書院供用。奥書院庭園供用(0.1ha追加)
 2015
(平成27)
入園者5,000万人達成
 2016
(平成28)
銭蔵跡、、係員詰所跡供用(0.3ha追加)
 2017
(平成29)
北城郭園路広場供用(0.4ha追加)
 2018
(平成30)
入園者数6,000万人達成
美福門完成
 2019
(平成31)
 

(令和元) 
国営沖縄記念公園首里城地区 全エリア開園(1.1ha追加 供用面積4.7ha)。
東のアザナ、白銀門、二階御殿、供用
世誇殿、女官居室、後之御庭、美福門 供用
首里城正殿等焼失(10.31)

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