港の歴史 −那覇港の歴史−グスク時代
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港の歴史
那覇港の歴史
 
グスク時代 琉球王朝時代 明治・大正・昭和時代
グスク時代 〜貿易のはじまり〜
沖縄の14〜15世紀初頭は群雄割拠の戦国時代でした。このころの沖縄は、まだ琉球王国として統一する前で、貝塚時代からグスク時代を経て、中世にさしかかっていました。
首里・浦添を中心とする『中山』、糸満を中心とする『南山』、そして、今帰仁を中心とする『北山』の三つの政権が、覇権を競っていました。これが『三山時代』です。
グスク時代の勢力図
●中山王と浦添城
■浦添城趾 ■浦添城の前の碑
浦添城趾 浦添城の前の碑
1187年には浦添グスクの按司尊敦が、中山王となり舜天王となりました(舜天王統の始め)。このころの按司と呼ばれる首長が各地を支配し、グスク(城砦)を築いて対立していました。
●仏教伝来 〜禅鑑と極楽寺〜
1260年には浦添グスクを拠点に英祖が中山王となりました(英祖王統の始め)。
英祖は、国港として泊港に公館と公倉を建てて、中国や日本との交流を深めました。この時代に禅鑑という僧侶が沖縄に初めて仏教を伝え、城の北側に極楽寺を建てたといわれています。
また、英祖は海外から鉄器による農具を農民の間に広めて、稲作などの作物の生産性を飛躍的に向上させるなど治世の強化に努めました。浦添城北側の崖の中腹には、英祖王統と尚寧王の墓である「浦添ようどれ」があります。
■浦添ようどれ
浦添ようどれ
●牧港と対明貿易
1350年には浦添按司察度が中山王となりました(察度王統の始め)。
明の皇帝の使者が琉球を訪れ、明と貿易をするように進められました。察度は弟の泰期を派遣して貢ぎ物を送りました。これ以降、牧港を通じて中国との貿易が始められました。対明貿易によって、多くの宝物や文化が伝わってきました。
トピック
「察度は天女の子」伝説
今の宜野湾市真志喜の森川にある泉に、天女が舞い降りて水浴びしているところを浦添謝名村の奥間大親が見初めました。大親は羽衣を隠して天女を連れ帰って結婚したといわれており、その天女から生まれた男の子が、中山王・察度と伝えられています。
●三山時代の終焉
三山時代の群雄の中でも、一歩抜きん出ていたのは、後に琉球王朝を興す中山の尚巴志でした。積極的に中国などとの貿易を進め、鉄の農具を普及させ、農業生産を飛躍的に向上させるなど、先進的な施策を行っていました。人々の人気も高く、中山は大きな力を蓄えていきました。その後、強力な軍事力を持っている北山王がいる今帰仁城を、苦労の末攻め落としました。
尚巴志が初めて沖縄本島を統一することで、三山時代が終わり、琉球王朝の幕開けを告げました。これが『三山時代』です。
■今帰仁城跡
今帰仁城趾

琉球の名前の意味は「美しい島」
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