事業の経緯

経緯

昭和49年 (1974) コザ市、美里村合併→沖縄市誕生
昭和59年 (1984) 沖縄市政10周年シンポ(埋立構想提起)
昭和60年 (1985) 沖縄市東部海浜地区振興開発懇話会
昭和61年 (1986) 東部海浜地区埋立構想(3案)を作成
昭和62年 (1987) 沖縄市新総合計画策定→国際交流拠点
昭和63年 (1988) 東部海浜地区埋立計画を作成
平成元年 (1989) 泡瀬復興期成会、埋立形状変更要望
泡瀬ビジュル会、代替案提示
平成 2年 (1990) 合意形成不十分→港湾計画掲載見送り
平成 3年 (1991) 沖縄市自然環境保全検討委員会設置
平成 4年 (1992) 沖縄市土地利用構想作成
平成 5年 (1993) 東部海浜開発に関する市民アンケート
平成 6年 (1994) 中城湾港港湾計画変更案作成
平成 7年 (1995) 中城湾港港湾計画変更
平成 8年 (1996) 環境影響評価に向けた調査の開始
平成10年 (1998) 国による事業参画表明
平成11年 (1999) 環境影響評価準備書の公告・縦覧
平成12年 (2000) 環境影響評価書の公告・縦覧→埋立承認
平成13年 (2001) 環境監視・検討委員会開催
平成14年 (2002) 海草移植実施→事業着手

埋め立て形状の変更

 本事業は、沖縄本島中部圏東海岸地区の活性化を図るため、昭和60年代から沖縄市や沖縄県で検討されてきたものです。

当初、既存海岸線から陸続きで約219ha〜約340haを埋め立てる計画でしたが、海岸線とヨネ(砂洲)を残すべきとの地元からの強い要請や多岐にわたる自然環境調査や環境保全・創造に関する検討を踏まえ、最終的に、沿岸干潟域の保全等に配慮した人工島形状にするとともに、埋立面積も約187haと当初より大きく縮小して湾港計画に位置づけています。

埋立計画の変遷
埋め立て形状の変更

泡瀬干潟の保全

 当初、陸続きの埋立計画を、200m沖合に出した人工島方式にすることにより、環境に配慮した計画となりました。

最初に着手するI期埋立計画で消失する干潟の面積は、全面積の1%未満です。
また、I期・II期合わせた全体の埋立計画でも、約80%の干潟が残る計画になっています。

人工島方式による泡瀬干潟の保全

※緑=陸域、黄=最干時の干潟

■ 東部海浜の真実へ

このページのトップへ