明治の初め頃のことです。羽地村源河((西海岸)の男と久志(村(現東村)有銘((東海岸)の美しい娘が、村境の険(しい山中で、夜な夜な人目を忍(んで逢(っていたそうです。
ある日のこと、約束の時刻になっても源河村の男は現れません。不安になった娘は「もしかしたら、他に好きな女でもできたのでは」と思いこみ、男の村へ行ってみることにしました。するとどうでしょう。恋人の男はヤガナヤー(昔の青年たちの集会所)で村の娘たちといちゃついてるではありませんか。
有銘の娘は「ああやっぱり」と男の様子に絶望(しました。すぐにもと来た道を小走りに帰ると、二人がいつも会っていた場所で楽しかった日々を思いめぐらしながら、自殺してしまいました。
一方そうとは知らない源河の男は、彼女が暗い山中で待っているかと思うと、気が気ではありませんでした。当時は、まだ他のシマ(むら)の異性(との恋愛や結婚がタブーだった時代でした。むらの娘たちを無愛想に振り切るわけにはいきませんでした。そう、男にとって、むらの娘たちとのつきあいは有銘の彼女とのつきあいを隠(すための見せかけでした。
男は頃あいをみてヤガマヤーを抜け出すと、娘の待つ山へと向かいます。でも全ては遅かったのです。男が会えたのは、悲しい勘違(いをしたまま死んでしまった娘の亡きがらだったのです。男は驚(き、泣きじゃくりました。悔(やんでも悔やみきれないこの思いよ。男はやがて意を決して、自分も娘と重なるように、後を追ったのでした。(他に驚きのあまりのショック死の伝承(もあります)
翌日、山仕事で若い男女の亡がらを発見した源河の人たちは仰天(しました。そして、この若い男女の純愛(にいたく同情して木の枝を折って二人の遺体を覆(いました。
その後一帯の山はピーダマ(ひとだま)が飛び交う、恐ろしい山道になったそうです。人々はこのくびり道を「ビージル」「恥(うすい」「恥うすい坂(」と呼びました。そこを通る時は木の枝を折って置かないと(柴折(り)道に迷ったり、ハブの被害(にあったり、危険な目にあうと信じられています。
恥うすいの「恥」は、男女のあられもない姿を恥とする考えと、自殺や変死を村の恥と考える立場の二つありその二つの「恥」を覆い隠して、この話を他のシマの人々に語らないようにしていたとも言われています。
木の枝を折って置く風習は、山の神や道の神(さえの神)へのまじない、行き倒れ、変化した場所などへの注意を喚起(する意味をもっています。沖縄県外では「柴うすき」「石うすき」と呼んでいる風習です。
なおこの恥うすいの伝承は、幾通(りもあり、源河のある古老は、「その若い男女はイトコどうしであった」とも伝えています。 |