〜サーバシ・カフー祭(塩屋大橋果報祭) 〜人々に愛された橋のお話〜
人々のきずなを結んだ赤い橋
沖縄には昔からたくさんのお祭りが行われています。
しかし、役目を終えた橋のためのお祭り、というのはおそらく他に聞いたことがないのではないでしょうか。

旧塩屋大橋が登場したのは1963年。当時としては沖縄最長で、大宜味村の宮城島と塩屋を結びました。
それ以前は本島との交通手段がサバニ(小舟)のみで非常に不便だったため、人々は橋の開通を心から喜び、
「サーバシ」と呼んで親しんできたのです。
なにかワクワクするものがやってくる・・・橋は文字通り、周囲の村や遠い街との、交流の架け橋でもありました。
人が、ものが、新しい文化が、この橋を渡って行き交いました。
開通当時の橋は銀色でしたが、開通後しばらくしてから周りの景観になじむようにと赤く塗りかえられました。
真っ赤なアーチも美しく、緑の山並みや青く光る海に映える橋の姿はいつしか地元のシンボルとなり、
「やんばるの玄関」として人々の心に刻まれていったのです。
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前代未聞?サーバシの引退式!!
1999年5月、とうとう老朽化により、橋が架け替えられることになったとき、
人々の心には、言い知れぬ寂しさが湧き起こりました。
「お世話になった思い出の橋をこのまま見過ごしていいのだろうか?」
村人は感謝とねぎらいをこめて、なんと、お祭りを開こうと思い立ったのです。『サーバシ・カフー(果報)祭』です。
橋の上は、連日大賑わい。子どもたちが路面に絵を描き、ブナガヤ・ヤマシシ踊りが披露されました。また橋のために琉歌が
読まれ、夜になると欄干に、いっせいに「送り火」が灯されました。
お祭りは実に一ヶ月にも渡って盛大に催され、最終夜、誰知らずカチャーシーが始まると、いつしかそれが全員に広がりました。
そして、ニライカナイの神に橋のことを御願(ウガン)して、揺れる送り火の中、最後のお別れとなったのでした。

こんなにも人々に慕われ、愛された橋が他にあったでしょうか。橋と人との確かな繋がりがそこに存在していました。
今、橋は塩屋沖に静かに横たわり、漁礁として新たな役目を担い、人々の暮らしを見守っています。
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