やんばる国道物語
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物資の輸送と海上交通
やんばる船が活躍した時代
明治時代に北部を歩いた 上杉 ( うえすぎ ) 県令や 笹森儀助 ( ささもりぎすけ ) が記しているように、やんばるの道は牛馬が通るのも困難な道でした。そのため国頭地方の物資の 輸送 ( ゆそう ) は、王府時代から道路が整備される昭和初期まで、海上交通に頼っていました。この輸送に使われた船は「やんばる 船 ( せん ) (注1)と呼ばれ、前と後ろに二本 帆柱 ( なほばしら ) が立ち、白い帆を掲げていました。 廃藩置県後、 蒸気船 ( じょうきせん ) や 発動汽船 ( はつどうきせん ) が 就航 ( しゅうこう ) し、客や貨物を運ぶようになりました。 1889(明治22)年10月に、間切 船舶 ( せんぱく ) の定数制限が廃止されると、続々と 大型のやんばる船が造られるようになりました。国頭地方北部ではやんばる船を利用して、主に砂糖、 藍 ( あい ) 、木材、薪炭、山原竹、竹ガヤなどが運ばれました。 運ばれたのは西海岸では那覇・泊方面、東海岸では 与那原 ( よなばる ) (注2)に積み出され、 帰路 ( きろ ) は酒や日用雑貨、 壷屋 ( つぼや ) の焼き物などを積んで来ました。 やんばるの中でもとりわけやんばる船建造に意欲的だったのは、国頭村 奥 ( おく ) 集落でした。このことは、奥集落が海を通じてしか外界との接触手段がなかったことによると思われます。 甘奄美 ( あまみ ) や 与論 ( よろん ) 、 沖永良部 ( おきえらぶ ) との交流もありました。
やんばる船の入港