1609年以前の奄美諸島は、琉球の属領でした。まつりごとを執(り行う祝女(が交代する際には、はるばる船渡りをして、首里王府の認証(を受ける習わしとなっていました。
あるとき喜界(島で祝女が亡くなり、その後継(ぎとして、祝女の子である若い娘が継ぐことになりました。その娘は、慣例によって首里王府の許可を受けるために、琉球へ渡りました。喜界の若祝女となるその娘はたいへん美しく、琉球王国はすっかり惚(れこんでしまい、いろいろな手をつくして、とうとう娘を我がものにしてしまいました。
やがて時が来て、娘は喜界島に帰ることになりました。しかし娘は帰る船の中で悩んでいました。
「まつりごとに携(わる祝女の身は清純(でなければならない。それなのに、自分は国王に純潔(を汚(された身。どうしてまつりごとが出来ようか。もう私には神聖な祝女の資格はない。どんな顔をして島へ帰れようか。神様よ、どうぞ波風を立たせて私の命を奪(ってください」
すると国頭辺土名の沖で天地も暗くなるほどの大風が巻きおこり、若祝女は船もろとも大波にのまれてしまいました。
数日後、辺土名の海はまだしけが続いていましたが、大石の海岸には海草とともに白衣をまとった若祝女の亡きがらが漂(っていました。ちょうど大石の前を通った辺土名村の発祥地ウイシマの四番里之子(が「この人はこの気品と装束(から、ただならぬ身分の方であろう」と信じ、近くの森の聖地(・イビぬ前に手厚く葬(ったということです。
後にこの話が首里王府へ伝わり、四番里之子は、褒美として、イビぬ前一帯の田畑を御拝領地として賜ったと伝えられています。 |