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やんばる国道物語

近代沖縄の道(1879年〜1945年)


(2/11)

上杉県令のやんばる視察

県令の見たやんばるの道

 

第二代沖縄県令 上杉茂憲 うえすぎもちのり )
 

 沖縄県になって2代目の沖縄県令に上杉茂憲が任命されました。 赴任 ふにん 後の1881(明治14)年11月から12月にかけて沖縄本島を、翌年には久米島・宮古・八重山を視察しました。上杉は各間切の番所で村の役人に、作物のでき具合や 精糖 せいとう の実態、学校設立の状況など、廃藩置県後の県民の生活について質問しました。各地をまわった記録は『上杉県令 巡回日誌 じゅんかいにっし) 』として残っています。以下、「沖縄本島巡回日誌」より、当時の国頭地方の道路事情を探ってみます。

   
宿道をたどる視察
   視察の際、上杉県令は宿道をたどっています。各間切の間切役人が間切境に出迎え、次の間切境まで同行しました。国頭地方の道の険しさでは国頭村 辺野喜 べのき の急な坂で坂をよじのぼり、ぐるぐるまわるように下りたと記述されています。また、国頭北端の奥村から 楚洲 そす 村、 安波 あは 村までの山道はとても険しく、乗っていた 輿 こし を降りて、2人が手を引き、1人が後からお尻を押してよじのぼるありさまでした。

 さらに国頭東海岸の安波村を経て西海岸の国頭間切番所(奥間村)までの山道はトンネルを行くように昼なお暗い木々の中を、一行は険しいところでは 輿 こし ) から降りて歩く難所で、4里半(約18キロ)を行くのに5時間かかったといいます。
国頭村で橋が架かっていたのは 屋嘉比 やかび 川と 石橋 いしばし 川( 比地 ひぢ )だけで、その他の川は舟で渡るか泳いで渡らなければなりませんでした

   
人と手荷物を運ぶ道
   当時の国頭地方の道はあまりに険しいため、歩行者とその手荷物の通行にしか利用できませんでした。そのため貨物の輸送は船などで運ばれており、国頭地方はまさに「陸の 孤島 ことう 」でした。
上杉県令は、この視察で農村の実態を知り、教育と産業奨励を重点施策に据え、旧慣の改革を試みました。 廃藩置県 はいはんちけん 後、最初の道路改善事業は、1884(明治17)年7月に行われた那覇首里間の街道修理で、同年11月にできあがりました。費用は金4980円(現在の700万円相当)でした。翌年3月には首里与那原間の街道が改修されましたが、国頭地方の街道整備はずっと後のことでした。
 

上杉県令沖縄本島巡回日誌

(『沖縄県史』第11巻所収)

 
上杉茂憲(うえすぎ・もちのり)
   1844〜1919年。東北の米沢藩出身。1868年藩主、69年版籍奉還、同藩知事に。72年、イギリス留学。77年宮内庁御用掛。81年か83年まで第二代県令。在任中、第一回県費留学生を東京に派遣するなど、開明的な県政を試みる。沖縄を去る際、奨学金3000円を県に寄付しました。[那覇市文化振興課]
   
  上杉県令のやんばる視察コースと日程
   

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