| 道の誕生 |
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道は私たちの暮らしに深く関わり、人々の生活とともに発展してきました。
獣道
といわれる、猪や鹿が自然につけた通り道があります。人間の通り道も太古の時代においては、獣道とあまり変わらない道であったと考えられます。人間が増えるにつれ、行動範囲が広がり、道が誕生してきました。
沖縄の
貝塚
(
時代(注1)の人々は、海岸近くの
丘陵
(
に住みつき、山や川、海へ出かけていって、食糧を得ていました。人々は山野や
海浜
(
に日々の
糧
(
を求め、道なき道を草木をかき分け、生活のために何度も往き来するうちに、次第に踏み固められた場所が道となったと考えられています。 |
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山の中にも行き来することにより踏み固められた道ができる |
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| 畑へ行く道、ムラとムラをつなぐ道 |
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10〜12世紀頃になると、人々は海岸砂丘から、水場の近くに移り住み、稲や麦などの
穀物
(
を作り、農耕生活を営むようになり、やがて小高い丘や
斜面
(
などに
小規模
(
の集落を形成していったと考えられています。
家々が一か所にかたまって集落ができると、その周りに生活の
基盤
(
となる田畑がつくられ、そこで人々が田畑に通うための農道ができました。そして、牛や馬が農耕に使われるようになると道幅も広くなり、麦や稲を載せた牛馬が山道や農道、
隣村
(
や海への道を往復するようになりました。すると牛や馬が通る広さが必要となり、新しい道も開発され、道はさらに発達しました。つまり、生産活動の増加が道の発展の要因になったのです。 |
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| グスクと「道」の広がり |
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農業生産力の向上とともに、共同体としての結束が高まり、集落を
統率
(
する按司(リーダー)が登場しました。この按司の居住地はグスクと呼ばれ、「城」の漢字をあてます。一般的に小高い丘の上にあります。
按司
(
が力を増すにつれ、これまでの村落と村落を結ぶ道のほかに、グスクと各村落を結ぶ道が新しくつくられたり、従来の道が改修されました。つまり、グスクを中心に各村落が結ばれるようになりました。12世紀から15世紀のこの時代をグスク時代といいます。
やんばるには、国頭グスク(
根謝銘
(
グスク)、
親川
(
グスク(羽地グスク)、
名護
(
グスク、
今帰仁
(
グスクなどがあります。各地の按司たちは互いに
競
(
いあい、14〜15世紀にかけて沖縄本島では南から
南山
(
、
中山
(
、
北山
(
の三つの地域勢力が形成され、
権力抗争
(
を
繰
(
り広げるようになりました(三山時代)。今帰仁グスクはこの北山王統の居城で、2000年世界遺産(注2)に登録されました。
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今帰仁グスク全景 |
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| 用語解説 |
| (注1)沖縄の貝塚時代 |
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沖縄における新石器時代の遺跡は
貝塚
(
を形成することが多く、前期(前2000〜前800年)、中期(前800〜前200年)、後期(前200〜200年)に分類されている。 |
| (注2)世界遺産 |
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2000年「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。今帰仁城以外に、
首里城
(
、
座喜味城
(
、
勝連城
(
、
中城城
(
、
園比屋武御嶽石門
(
、
玉陵
(
、
識名園
(
、
斎場御嶽
(
の九ヶ所。 |
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