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琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)
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(6/15)
一号線の整備
アスファルト舗装道の登場
| 複雑な一号線の管理 |
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「一号線」は、那覇から
国頭村奥
までの沖縄本島
を
縦
(
に
貫
(
く全長123キロの
幹線
(
道路でした(現在の国道五八号の路線)。
軍道路として整備され、平均道幅は7.32メートル(24フィート)ありました。
この路線は那覇から
読谷
(
までの65キロが
軍道路
(
で、読谷から名護までは
軍営繕道
(
(後に軍道に)、名護以北の名護―奥間の58キロが
純政府道路
(
、という管理に分かれていました。
軍用道路部分の名護以南の一号線は、DE(米国工兵隊)が工事を行い、ポストエンジニア(米陸軍施設
修繕局
)
が維持管理にあたり、陸軍第一
憲兵隊治安
(
対策本部の交通課
による交通規制が行われていました。
琉球政府道の管理は、北部、中部、南部の三建設事務所の道路管理課がそれぞれの担当区間の維持管理に当たっていま
した。軍用道路部分は、車の通行機能だけが最低保証されている程度の道路構造で、
排水
(
施設がなく、道路の
冠水
(
や付近の
浸水
(
が絶えませんでした。また、現道沿いに
構造物建造
(
の制限があり、建築許可がなかなかおりないという状況でした。 |
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| アスファルト舗装のはじまり |
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一号線も、当初は「コーラル
舗装
(
」と呼ばれる、表面を
砂利
(
で
敷
(
く簡単な
舗装(
簡易
(
舗装)しかなされておらず、砂ぼこりの舞い上がるほこ
りっぽい道路でした。沖縄での本格的アスファルト舗装工事が始まったのは1951(昭和26)年の1号線
工事でした。北部地域では1954(昭和29)年に、まず軍道部分である嘉手納―名護間が舗装されました。
それまではすれ違う時には止まって一台ずつ通るような
狭
(
さだったの
ですが、道幅も4
間
(
(7.2メートル)となり、その中央の三
間
(
(5.4メートル)が舗装され、これにより那覇から名護まで三時間かかっていたのが約二時間に
短縮
(
されました。
しかし政府道である名護から奥まではまだ簡易舗装でしたので、大雨が降るとぬ
かるみがひどく、
徐行
(
して進む車もスリップするため、しばしば通行止めになることもありました。このように、当時の沖縄の交通事情は、その管理の違いによりその状況は異なっていました。 |
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舗装された頃の一号線。那覇市久茂地から泊まりへ向かうあたりで、パイプ製のバス停標識や時速制限30マイルの標識が見える。(1954年2月12日)[月刊沖縄社] |
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舗装された名護の七曲 (1950年代)[『新望郷土地図』] |
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やんばる国道物語(北部国道事務所) |
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