やんばる国道物語
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念願の北部一周道路
開かれるやんばる
1962(昭和37)年、1月29日、 辺戸 ( へど ) から 奥 ( おく ) を結ぶ道路が開通し、奥に初めてバ スが通りました。北部 一周 ( いっしゅう ) し道路の一環として着工されたもので、これで一号線が那覇から奥まで開通しました。それまで辺戸から奥へ通ずる海岸沿いの細い道は、 台風 ( たいふう ) や 大波 ( おおなみ ) によって 壊 ( こわ ) れてしまい、住民は 干潮時 ( かんちょうじ ) に 干上 ( ひあ ) がった海中を行き来するしかありませんでした。 工事には 莫大 ( ばくだい ) な予算が必要でしたが、琉球政府には他に 優先 ( ゆうせん ) 事項が山積みで、道路関連事業までは手が回らない状態でした。そのような中、国頭村の 新里善福 ( しんざとぜんぷく ) 村長は、道路が開通したら米軍の 演習 ( えんしゅう ) 道として 併用 ( へいよう ) していいという条件を提示して民政府に話を持ちかけ、米軍工兵隊の協力を 要請 ( ようせい ) しました。道のない苦しい村の実情を考えた政治的な 配慮 ( はいりょ ) もあったのでしょうか、オグデン 民政府副長官 ( みんせいふふくちょうかん ) の 決裁 ( けっさい ) を経て、工事が着工されました。 ブルドーザーの 燃料 ( ねんりょう ) 代など国頭村の一部負担はありましたが、米工兵隊の 全面的 ( ぜんめんてき ) な協力によって辺戸―奥の道路は開通することができました。内陸部の奥の茶園を通るこの道路は、 急斜面 ( きゅうしゃめん ) の多い山の 尾根 ( おね ) 伝いに走る 険 ( けわ ) しい道路でしたが、当時の住民にとっては 唯一 ( ゆいいつ ) の道路でした。