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やんばる国道物語

琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)


(11/15)

交通事故の増加と対策

事故多発地点・名護の七曲り

 

車の増加と交通状況
 

 鉄道のない沖縄では、 唯一 ゆいいつ の交通手段として年々自動車数が増加していました。1953(昭和28)年時点で民間 車輌 しゃりょう は3773台と戦前の十倍以上になっています。
1954(昭和29)年の自動車 登録 とうろく 数を見てみると、車種別が営業用、自家用の民間以外に 官庁用 かんちょうよう 、外人用の種類に分けられています。またその頃は営業用の方が自家用より登録台数が多かったのですが、1957(昭和31)年になると自家用の方が多くなりました。一方、軍民車輌の交通事故が 激増 げきぞう して問題となっていました。
交通行政の 刷新 さっしん はか って、1956(昭和31)年、民立法「道路交通取締法」が制定されました。
その後も、北部一周道路や横断道路の開通など、道路の整備が進む中、自動車数は増加し、交通量も増えていきました。
軍用道路は、その名の通り軍車輌のために造られたため、道路の幅は広いのですが、歩車道の区別がなくて、歩行者は えず危険にさらされていました。車の流れは、多いところでは一分間に30台から40台もあり、道を横切るのも危険でしたが米軍は、歩行者のための 陸橋 りっきょう (横断歩道橋)の設置もなかなか許可しませんでした。初めての横断歩道橋は1966年、那覇市 久茂地 くもじ 交差点に設置されました。

   
 
  1975年に設置された名護市数久田の横断歩道橋
 
  車は狭く車2台がすれ違うのも一苦労でした。
(国頭村宜名真、1960年頃)[キーストンスタジオ]
   
事故多発地帯・名護七曲がり
   「名護の七曲り」は、道路が狭く、カーブが急なため、車とすれ違うたびに冷や汗をかく危険な道で、交通事故も多い道路でした。名護七曲りには約50か所のカーブがあり、そのうち急なカーブが17か所もありました。特に 数久田 すくた 許田 きょだ の中間地点にある 翁長 おなが カーブは、カーブが急な上に道幅がせまく、道路わきは がけ という地形のため、かなり危険な道路で事故も多かったのです。
当時の新聞によると、対策として考えられたのがカーブミラーの設置でした。これは80センチから1メートルの大鏡を見通しのきかないカーブに立てることにより、反対側から来る車が確認できて、事故が ふせ げるというものでした。
1965(昭和40)年名護の七曲りに11個が設置されると、カーブでの事故が 激減 げきげん しました。その後、割れないカーブミラー(ステンレス製)も設置されました。
設置1年後時点で事故件数を比較すると、大幅に事故が減少しました。その後、こうした危険な道路の改修工事が進み、現在では急なカーブもだいぶ ゆる やかになりました。
  名護七曲がり
 

海岸沿いにカーブが続く名護七曲がり(1961年)

[屋富祖正弘、名護市]

  カーブミラー
  カーブミラー[ボーダーインク]
 
  海岸沿いにカーブが続く名護七曲がり(1961年)
[屋富祖正弘、名護市史]
   

やんばる国道物語(北部国道事務所)

 

   
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