| 「ホコリ高き」悪道 |
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1960年に入っても、名護町から国頭村奥までの1号線、122号線、124号線、半島
循環線
などは
舗装
(
されないまま、交通量だけが
増大
(
していきました。
1号線では、国頭村奥に軍部隊があるため、ひんぱんに軍用トラックが通りました。また、
薪炭材
(
をはこぶ民間トラックもひっきりなしに通行するために、道路は
修理
(
がおいつかずに
破損
(
する一方でした。ことに北部一帯は
簡易舗装
(
(コーラル舗装)であったため、砂ボコリがひどく、交通安全や
公衆衛生
(
の面からも
深刻
(
な問題を抱えていました。
北部の道路の多くは海
沿
(
いを走っています。その上、道路の片側は山で片側は海になっている地域が多く、そのため
道幅
(
が
狭
(
く、カーブの多い道路でした。さらに晴れるとホコリが高く舞い上がるために、「天下の悪道」と言われていました。
北部一帯の1号線の改修工事は、1961年から7年がかりで行われ、1967年に完成しました。工事は
大掛
(
りなもので、山と岩をくずし、海を
埋
(
めてカーブを
緩
(
やかにして道幅を広げる一方、
源河
(
橋、
安根
(
橋、
比地
(
橋など全長50メートルを
越
(
す橋を
架設
(
した。さらに1963年からは、アスファトの舗装工事もすすめられました。 |
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一号線に新しく完成した源河橋(1967年)[USCAR年次報告書] |
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名護から羽地に行く街道を土煙を巻き上げて走るバス |
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| 東海岸の道と基地 |
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金武
(
のキャンプ・ハンセン、名護のキャプ・シュワブの米軍キャンプを始め、東村ら国頭村へかけて県内でもっとも大きい基地北部
訓練場
(
など、本島北部の東海岸には広大な米軍基地が建設されました。
キャンプ・シュワブの基地建設が始まった1957年、13号線の宜野座村
潟原
(
より
辺野古
(
へのアスファルト舗装の直線道路が着されました。また、
嘉陽
(
(現名護市)から
天仁屋
(
間の道路改修が1958年に行われそれまでの
急勾配
(
が緩和されました。
平良
(
−
高江
(
間の道路も改修され、
米海兵隊
(
(マリン)が
駐留
(
していたことからマリン道と呼ばれました。
また国頭の西と東の集落を結ぶ「
横断
(
道路」も、次々と工事が行われました。1958年に
源河
(
―
有銘
(
線の工事が始まり、名護の
二見
(
と
世冨慶
(
を横断する122号線も開通しました。このように、東海岸では米軍キャンプ建設に
伴
(
う道路工事が進められました。
北部一周道路は、相変わらず雨が降るとぬかるみがひどく、道路というより
泥沼
(
といった感じでした。車が立ち
往生
(
することも多く、車を引っ張り出すための
牽引
(
車が
活躍
(
していました。こうした状況は、復帰記念事業の一環として1971年から進められた「一周線道路改良舗装工事」を待つまで続きました。 |
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沖縄本島路線図(北部)と主な米軍基地(1970年) |
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政府道及び軍道路の路面別分類(1964年6月現在)
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1964(昭和39)年の軍道、政府道、市町村道の割合と舗装状況を見てみましょう。政府道は総延長860.4kmのうち、797.2kmが砂利道にあたり、ほとんどが砂利道だったことがうかがえます。道路の改修が進んでちるとはいえ、まだアスファルト舗装されているのは軍道・軍営繕道などの一部に限られていたことがわかります。「建設運輸要覧1965」より |
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キャンプシュワブと辺野古の海、後方に久志岳(左)、
辺野古岳が見える(1950年代)[キーストンスタジオ] |
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