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やんばる国道物語

琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)


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土地収用問題と潰地

祖国復帰への機運の高まり

 

土地 収容 しゅうよう 問題
 

 アメリカ 統治下 とうちか の沖縄ではさまざまな問題がありましたが、その一つに土地収用問題があります。米軍は占領と同時に広大な軍用地を囲い込み、基地建設を開始しました。1952年の 対日平和条約 たいにちへいわじょうやく 発行 はっこう すると、軍用地 賃貸公約 ちんたいこうやく のための 布令 ふれい 公布 こうふ されました。しかし、その使用料の安さから、地主に受け れらず、9割以上が契約を拒否しました。
  それでアメリカ民政府は1953年、「土地収用令」を公布して、軍に必要な土地は地主の意思にかかわらず、 強制 きょうせい 収用することができるようにしました。さらにアメリカ民政府は54年3月、「軍用地料の 一括 いっかつ 払い方針」を発表しました。
地主にすれば、強制的に土地を取り上げられ、安い地料をまとめて支払われては、これからの生活を ささ えることはできません。そこで琉球政府の立法院は、「軍用地処理に関する 請願決議 せいがんけつぎ 」で、(1)地料の一括払いは行わないこと、(2)現在使用中の土地には適正 補償 ほしょう がなされること、(3)米軍が加えた 損害 そんがい には適正な 賠償 ばいしょう をすること、(4)新規の土地 接収 せっしゅう けることの、いわゆる「土地を守る四原則」を示します。
しかし56年には、地料の一括払いと新規の土地接収を内容とする「プライス 勧告 かんこく 」(注1)がアメリカで発表されると、それに 猛烈 もうれつ に反対する沖縄住民の「島ぐるみ 闘争 とうそう 」が起きました。
1960(昭和35)年4月28日には「沖縄県 祖国復帰 そこくふっき 協議会」(注2)が結成され、日本への復帰の 機運 きうん が高まります。

 
  十数万人が参加した四原則貫徹
   
つぶ 地補償問題
   「潰地」とは、道路・ 河川 かせん 護岸 ごがん などの公共施設とされている土地で、土地使用の 権原 けんげん (使用権)が 取得 しゅとく されていない土地を指します。沖縄では主として戦時中、あるいは戦後の 混乱 こんらん 期に土地を 買収 ばいしゅう することなく、道路の新設または 拡張 かくちょう 工事等が行われたために、潰地が発生しました。
  軍道、軍 営繕道 えいぜんどう においては、軍用地の一部として 賃貸料 ちんたいりょう が支払われていましたが、琉球政府の管理する政府道においては、補償 措置 そち はありませんでした。 1966(昭和41)年に、潰地の補償問題が本格的に取り組まれて、翌年、補償金の支払要領ができ、補償問題がスタートしました。
1972(昭和47)年の本土復帰を ひか えて、国道に指定された民間所有地は国が買上げることになりました。米軍用地となっている国道予定の地主は1万2千人で、用地買収費は約二百億円にも達する見込みでした。復帰時までに補償問題が解決したのは全体の40%(面積比率)でした。復帰翌年の73年度から、国の全額負担(沖縄振興開発特別措置法第五条)で買収に着手されました。区域調整や買収価格の決定など、さまざまな問題を抱えていました。
   
   
 

用語解説

(1)プライス勧告

米下院軍事委員会は、M・プライスを委員長とする特別分科委員会を沖縄に派遣しました。この調査団が議会に提出した報告書です。

(注2)沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)
島ぐるみ闘争以後、労働組合や各種団体の結成が急速に進み、民衆運動の母体となった団体。関係諸国・諸機関への復帰要請と沖縄における訴えなどを行った。
   

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