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琉球政府時代の道 (1945年〜1972年)
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(14/15)
土地収用問題と潰地
祖国復帰への機運の高まり
| 土地
収容
問題 |
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アメリカ
統治下
(
の沖縄ではさまざまな問題がありましたが、その一つに土地収用問題があります。米軍は占領と同時に広大な軍用地を囲い込み、基地建設を開始しました。1952年の
対日平和条約
(
が
発行
(
すると、軍用地
賃貸公約
(
のための
布令
(
が
公布
(
されました。しかし、その使用料の安さから、地主に受け
容
(
れらず、9割以上が契約を拒否しました。
それでアメリカ民政府は1953年、「土地収用令」を公布して、軍に必要な土地は地主の意思にかかわらず、
強制
(
収用することができるようにしました。さらにアメリカ民政府は54年3月、「軍用地料の
一括
(
払い方針」を発表しました。
地主にすれば、強制的に土地を取り上げられ、安い地料をまとめて支払われては、これからの生活を
支
(
えることはできません。そこで琉球政府の立法院は、「軍用地処理に関する
請願決議
(
」で、(1)地料の一括払いは行わないこと、(2)現在使用中の土地には適正
補償
(
がなされること、(3)米軍が加えた
損害
(
には適正な
賠償
(
をすること、(4)新規の土地
接収
(
は
避
(
けることの、いわゆる「土地を守る四原則」を示します。
しかし56年には、地料の一括払いと新規の土地接収を内容とする「プライス
勧告
(
」(注1)がアメリカで発表されると、それに
猛烈
(
に反対する沖縄住民の「島ぐるみ
闘争
(
」が起きました。
1960(昭和35)年4月28日には「沖縄県
祖国復帰
(
協議会」(注2)が結成され、日本への復帰の
機運
(
が高まります。
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十数万人が参加した四原則貫徹 |
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潰
(
地補償問題 |
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「潰地」とは、道路・
河川
(
・
護岸
(
などの公共施設とされている土地で、土地使用の
権原
(
(使用権)が
取得
(
されていない土地を指します。沖縄では主として戦時中、あるいは戦後の
混乱
(
期に土地を
買収
(
することなく、道路の新設または
拡張
(
工事等が行われたために、潰地が発生しました。
軍道、軍
営繕道
(
においては、軍用地の一部として
賃貸料
(
が支払われていましたが、琉球政府の管理する政府道においては、補償
措置
(
はありませんでした。
1966(昭和41)年に、潰地の補償問題が本格的に取り組まれて、翌年、補償金の支払要領ができ、補償問題がスタートしました。
1972(昭和47)年の本土復帰を
控
(
えて、国道に指定された民間所有地は国が買上げることになりました。米軍用地となっている国道予定の地主は1万2千人で、用地買収費は約二百億円にも達する見込みでした。復帰時までに補償問題が解決したのは全体の40%(面積比率)でした。復帰翌年の73年度から、国の全額負担(沖縄振興開発特別措置法第五条)で買収に着手されました。区域調整や買収価格の決定など、さまざまな問題を抱えていました。 |
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用語解説 |
(1)プライス勧告 |
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米下院軍事委員会は、M・プライスを委員長とする特別分科委員会を沖縄に派遣しました。この調査団が議会に提出した報告書です。 |
| (注2)沖縄県祖国復帰協議会(復帰協) |
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島ぐるみ闘争以後、労働組合や各種団体の結成が急速に進み、民衆運動の母体となった団体。関係諸国・諸機関への復帰要請と沖縄における訴えなどを行った。 |
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やんばる国道物語(北部国道事務所) |
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