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やんばる国道物語

復帰後の道 (1972年〜2000年)


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新しい塩屋大橋を架ける

地域のシンボルとしての橋づくり

 

塩屋大橋
   やんばるのシンボルのひとつである、 大宜味 おおぎみ 宮城 みやぎ 島と塩屋を結ぶ 塩屋 しおや 大橋は、1963年(昭和38)年の建設から30年を経て、 老朽化 ろうきゅうか が目立つようになりました。昭和38年の基準で 架橋 かきょう された塩屋大橋は、設計速度は時速60キロに設定されて、幅員も せま くカーブが急で、近年の急激な交通量の増大にともなって、事故が多発していました。
こうした問題を解決するために、1996(平成8)年3月から塩屋大橋の えの工事が始まりました。この事業は、昭和57年度から実施されてきた大宜味拡幅(大宜味村 謝名城 じゃなぐすく から同村 津波 つは 間の延長約9.3キロメートルの拡幅工事)の締めくくりの事業でもありました。
 

旧塩屋大橋

  旧塩屋大橋
   
新しい橋の総合的デザインを考える
   塩屋大橋は海上に架かっているため、常に波しぶきを受ける環境にあり、塩害が心配されていました。そのため新しい塩屋橋を建設するにあたっては、塩害対策のしやすい種類の橋の形が選ばれ、 さび 防御 ぼうぎょ する対策も万全に整えました。新しい橋の建設には、地元住民を含めた「塩屋大橋景観検討協議会」が設置されました。また地域性を演出するデザインが検討されて、橋が路面より上にならないようにという景観への配慮も盛り込まれました。
 
   新しい塩屋大橋は、1999(平成11)年3月に完成しました。やんばるの緑の 山並 やまな みをバックに、役目を終えた旧橋と真新しい新橋が、美しい塩屋湾の湾口に沿うように並び、新旧交代の時を待っていました。
  塩屋大橋
  新塩屋大橋[ボーダーインク]
   
赤橋との別れ
   同じ年の3月27日、新橋の開通式が行われました。むらのカミンチュによる祈りから始まり、地元住民総勢70人による重要無形文化財「塩屋の総踊り(スーウドゥイ)」「国頭(クンジャン)サバクイ」が演じられました。
また、開通式が終わって後の5月1日から5月30日までの1カ月にわたり、「サーバシ・カフー祭」が開かれました。塩屋のことを地元では「サー」(下の意)と言い、塩屋大橋を「サーバシ」と呼んで長年親しんでいたことから、塩屋大橋に感謝する(果報=カフー)という意味の祭りです。サーバシ・カフー祭は、こいのぼり 掲揚 けいよう 式で開幕、保育園児らによるブナガヤ踊り、ミニコンサートなど多彩な もよお しが連日開かれました。最終日には送り火で渡り納めをし、赤橋の歴史に幕が下ろされました。現在、赤橋は塩屋沖に沈められ、 魚礁 ぎょしょう として新たな役目を担っています。
 
   

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