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やんばるの伝説をたずねて


 (8/23)

大和ウスメーとカマンタノロの恋

(東村)

 

 東村はもともとは久志くし村(現在は名護市)の北側六つのあざが分かれてできた村です。その中でも、太平洋側の平良たいら湾内の平良部落は、昔から、東シナ海を望む西側の塩屋しおや湾とを結ぶ交通の要所ようしょとして知られていました。北山の流れを組む平良大主たいらうふぬしという人が、部落の草分けだと言われています。

 

 昔、その平良に「カマンタロノ」という女性がいました。ある時、平良に薩摩さつまから「大和やまとウスメー」という男が測量そくりょうにやってきました。しばらく滞在たいざいするうちに、二人は恋仲こいなかになりました。

 

 何年かの年月がたち、測量をすませた大和ウスメーはカマンタロノに再会の約束をして、薩摩に戻っていきました。カマンタノロは大和ウスメーの言葉を信じて、平良でその帰りを待っていました。
 ところが約束の時を過ぎても、大和ウスメーは平良に戻ってきませんでした。カマンタノロは非常に残念がりました。

 

 やがてカマンタノロは、失意のうちに、部落の後方にある御嶽うたきで、自分のかみで首をめて、あえない最後をげてしまいました。

 

 約束の時から遅れ、翌年に平良にやってきた大和ウスメーは、自分をうらんで亡くなったカマンタノロの事を知らせれます。おどろき悲しんだ大和ウスメーは、自らも「土岩」と石に文字を刻んで、そこで亡くなったそうです。

 

 部落の土地を測量した恩人おんじんとして、今でもカマンタノロの子孫は、大和ウスメーの供養くようを行っているそうです。

 

二人の間に交わされた歌が、平良ではこのように語りがれています。

 

ウスメー うんじゅと我が仲や 鷲鳥のひよこ 何時が何時まりん 契りさびら

(貴方と私との仲はおしどりのひよこのようなもの。何時何時までも契りを結びましょう)

 

カマンタ 里やあがとぅなの 旅の人やゆる いちゃしうみ里とぅ ままになゆが

(愛しい貴方は遙か彼方の旅の人。どうすれば貴方と自由になれるでしょうか。)

 

ウスメー むしかうんじゅいちゃてぃ 自由にならん時や 刀に命 ひてぃてぃてぃみしら

(もし貴方とどうしても自由にならないのであれば、刀に命を捨ててみせましょう。)

 

カマンタ 命まりかきてぃ 想いをかけてくれる幸せよ。何時何時までも捨てないでください

(命までかけて想いをかけてくれる幸せよ。何時何時までも捨てないでください)

東村平良の集落

 


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