| 伝達ルート |
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王府時代に始まった
宿次
により、首里を中心に道路が整備されました。宿次のルートは次のようなものでした。
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沖縄本島を大きく
国頭方
(
(北部地域)、
中頭方
(
(中部地域)、
島尻方
(
(南部地域)に分け、それぞれ東海岸沿いにのびる宿道を
東宿
(
、西海岸沿いにのびる宿道を
西宿
(
といいました。
島尻方(本島南部地域)は東回りを
南風原之宿
(
、西回りを
真和志之宿
(
といいました。 |
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早馬で公文書を届ける宿次の様子
『琉球の郵便物語』 |
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| @【
国頭方東宿
(
】 |
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西原
(
→
宜野湾
(
→
超来
(
→
美里
(
→
金武
(
→
久志
(
→
羽地
(
→
大宜味
(
→
国頭
(
の各間切 |
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※久志までは東海岸側で、久志から羽地で西海岸に至ります。 |
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| A【
国頭方西宿
(
】 |
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浦添
(
→
北谷
(
→
読谷山
(
→
恩納
(
→
名護
(
→
本部
(
→
今帰仁
(
の各間切 |
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※羽地へは名護より、大宜味から久志へは羽地より、
伊江島
(
へは本部より、
伊平屋島
(
は今帰仁から届けました。 |
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| B【
中頭方東宿
(
】 |
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西原
(
→
宜野湾
(
→
中城
(
→
具志川
(
→
勝連
(
→
与那城
(
の各間切 |
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| C【
中頭方西宿
(
】 |
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浦添
(
→
北谷
(
→
読谷山
(
→
超来
(
→
美里
(
の各間切 |
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| D【
島尻方真和志宿
(
】 |
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真和志
(
→
豊見城
(
→
小禄
(
→
兼城
(
→
高嶺
(
→
真壁
(
→
喜屋武
(
→
摩文仁
(
の各間切
南部の西側をめぐって
摩文仁
(
(
現糸満市
(
)に至ります。 |
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| E【
島尻方南風原宿
(
】 |
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南風原
(
→
大里
(
→
佐敷
(
→
知念
(
→
玉城
(
→
東風平
(
→
具志頭
(
の各間切
このように南北ともに西回りと東回りがあり、本島くまなく
継
(
がれるしくみとなっていました。 |
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宿次の道筋と間切 |
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