| 東海岸の道 |
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中頭方
東海道
(
は首里城から西原・宜野湾・中城・具志川・
勝連
(
・
与那城
(
の各間切を通る
中頭方東宿
(
の道にあたります。この地域は中城に中城城、勝連に勝連城があり、古くから栄えた地でした。 |
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越来
(
・美里へは浦添から北谷・読谷山の各間切を経由する西宿からも
継
(
がれていました。これらの道は現在の国道329号と途中で重なって北上し、与勝半島方面にのびています。 |
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越来と美里は現在の行政区域としては、沖縄市とうるま市の両市域を指します。戦後、1945年に、旧美里村より
分離
(
独立して石川市ができ、1974年に、旧コザ市と美里村が
併合
(
し沖縄市が誕生しています。 |
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| 越来番所 |
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越来間切の越来村(現沖縄市)の東側を宿道がほぼ南北に走り、南は宜野湾間切、北は美里間切へつながっていました。越来間切は中頭方でも重要な地点にあり、番所は現在の越来小学校近くにあったと伝えられています。 |
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越来番所から直進して、国道329号に突き当たり、左折して国道を北上すると、ほどなくして美里番所跡にたどり着きます。美里番所跡の敷地内には、美里村
道路元標
(
(注1)が建っています。 |
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越来番所への道(1950年代) [キーストンスタジオ] |
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| 美里番所から金武へ |
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美里間切(現沖縄市)は国頭方への宿道の大切な場所でした。美里間切には美里番所(現沖縄市字美里)と東恩納番所(現うるま市字東恩納)の2カ所の番所が置かれていました。一間切に2つの番所を抱えることは、財政負担が大きいため、1743年に、東恩納番所は廃止されました。 |
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金武番所へは、東恩納番所から東南へ進み、なだらかな坂道を下り、海岸の浜道をたどります。現在では国道329号、石川川に架かる近代的な石川橋(注2)を渡って容易に金武に入りますが、宿道時代は渡し舟か徒歩、または石川川の上流を
迂回
(
していました。この川に橋が架かったのは1931(昭和6)年でした。 |
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薩摩藩調製図(部分) |
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| 18世紀に作成された、沖縄本島および周辺離島を描い48.2cm×99cmの極彩色の地図です。各間切、島は、赤・黄・青・藍・緑・桃色などで塗りわけられ、それぞれの間切・島の頭文字が記されています。[沖縄県立図書館] |
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| 用語解説 |
| (注1)道路元標(どうろげんぴょう) |
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路線の起点や終点または経過地を表示する標識で、各市町村に一個ずつ置かれ、表面に市町村名が記載されています。 |
| (注2)石川橋 |
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石川川河口はンナトゥとよばれ、戦前は川の中ほどまで山原船が入ったといいます。石川橋は金武村の村民が資金を拠出し橋脚を作り、1931(昭和6)年竣工しました。(58頁参照) |
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