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やんばる国道物語

近代沖縄の道(1879年〜1945年)


(5/11)

宜名真の「もどる道」

当山正堅が開いた辺戸への道

 

国頭村宜名真 くにがみそんぎなま の「もどる道」
   国頭村の 宜名真 ぎなま から 辺戸 へど へ向かう 途中 とちゅう に岩の け目を通る百メートルほどの せま い道があります。人1人が通るのがやっとの道 はば しかなかったため、道の途中で人が出会うと、後から来た人が道をもどらなければならなかったことから「もどる道」と呼ばれていました。
この道は宜名真の人が辺戸の畑に行くための道で、村人がザルを頭にのせ、もっこ(物を運ぶために なわ 網状 あみじょう んだもの)をかついで通う重要な生活道路でした。しかし道とはいっても 断崖絶壁 だんがいぜっぺき ふち を岩の け目に打ち込んだ くい や木の根をたよりに通る危険なものでした。 この道を通らないと 一里 いちり 半(約6キロ)も遠回りしなければなりませんでした。
  戻る道位置図
 
   1960年代の「もどる道」付近。断崖側に石が積まれ、けずられた岩の間を道が通っているのがわかります。[キーストンスタジオ]
   
自分たちで道を広げる
 

 その状況をみかねて、1912(大正元)年、辺戸 尋常 じんじょう 小学校校長に 就任 しゅうにん した27歳の若き教師・ 当山正堅 とうやませいけん 注1)が「もどる道」の道を通りやすい道にしようと立ち上がりました。当山は、宜名真の人々の生活が貧しいのは、 耕作地 こうさくち がある辺戸への交通が不便で、 開墾 かいこん がはかどらないためだと考えたのです。
  さっそく、当山は国頭 郡役所 ぐんやくしょ などに 交渉 こうしょう しましたが、相手にされませんでした。それでもあきらめず、当山は自分で道を広くする計画を立て、工事を始めることにしました。その際、村の人々は団結して工事にあたることになりました。
  これにより、国頭郡も工事を許可し、 火薬 かやく の払い下げや 技術者 ぎじゅつしゃ 派遣 はけん などの 援助 えんじょ をしました。工事は1913年5月に開始され、毎日4、50人の宜名真の人が工事を行いました。積んだ石が くず れたりする 困難 こんなん にも負けず、同年11月についに完成しました。もどる道」から「もどらざる道」になったことにより、人はもちろん牛馬も通れるようになり、辺戸上原の開拓が急速に進みました。この道は1983年(昭和58)年に、全長1045メートルの宜名真トンネルが開通するまで、宜名真から辺戸への唯一の道として人々に利用されました。

 
  当時の工事風景(太田晴美提供)
   
   
 
用語解説 

(注1)当山正堅(1886〜1952)

恩納村 谷茶 たんちゃ に生まれ、沖縄県師範学校本科を卒業後、 国頭地方の各小学校の教師となり、1912年辺戸尋常小学校に 赴任 ふにん 、「戻る道」開削を行いました。教諭として各地で教鞭をとった後、さまざまな社会活動にも参加。 恩納村村長、県議会議員を経て、戦後は沖縄 諮詢 しじゅん 会委員、沖縄民政府文化部長を歴任してラジオ放送の創設などを行い、沖縄の文化発展に寄与しました。用語解説当時の工事風景(太田晴美提供)
 
   

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