やんばる国道物語
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宜名真の「もどる道」
当山正堅が開いた辺戸への道
その状況をみかねて、1912(大正元)年、辺戸 尋常 ( じんじょう ) 小学校校長に 就任 ( しゅうにん ) した27歳の若き教師・ 当山正堅 ( とうやませいけん ) (注1)が「もどる道」の道を通りやすい道にしようと立ち上がりました。当山は、宜名真の人々の生活が貧しいのは、 耕作地 ( こうさくち ) がある辺戸への交通が不便で、 開墾 ( かいこん ) がはかどらないためだと考えたのです。 さっそく、当山は国頭 郡役所 ( ぐんやくしょ ) などに 交渉 ( こうしょう ) しましたが、相手にされませんでした。それでもあきらめず、当山は自分で道を広くする計画を立て、工事を始めることにしました。その際、村の人々は団結して工事にあたることになりました。 これにより、国頭郡も工事を許可し、 火薬 ( かやく ) の払い下げや 技術者 ( ぎじゅつしゃ ) の 派遣 ( はけん ) などの 援助 ( えんじょ ) をしました。工事は1913年5月に開始され、毎日4、50人の宜名真の人が工事を行いました。積んだ石が 崩 ( くず ) れたりする 困難 ( こんなん ) にも負けず、同年11月についに完成しました。もどる道」から「もどらざる道」になったことにより、人はもちろん牛馬も通れるようになり、辺戸上原の開拓が急速に進みました。この道は1983年(昭和58)年に、全長1045メートルの宜名真トンネルが開通するまで、宜名真から辺戸への唯一の道として人々に利用されました。
(注1)当山正堅(1886〜1952)