やんばる国道物語
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国頭 街道 ( かいどう ) の開通
徒歩から車の通れる道に
1908(明治41)年、従来の 間切 ( まぎり ) ・ 島 ( しま ) が町村に改められました(沖縄県及び 島嶼町村 ( とうしょちょうそん ) 制)。それまで国の負担で行われていた道路の予算が県費に移されました。 そのため県が直接道路 改修 ( かいしゅう ) を行えるようになり、以後、 急速に道路整備が進みました。王府時代の西宿を改修してできた 国頭街道 ( くにがみかいどう ) の改修には、県からの 寄付金 ( きふきん ) が割当てられただけでは なく、村の財産である 積立金 ( つみたてきん ) からも貸出され、 積極的 ( せっきょくてき ) に改修が行われました。 1915(大正4)年、県下最大の街道である国頭街道(那覇−今帰仁)が開通、後に名護までを国頭街道と 呼ぶようになります。 この県道整備に 呼応 ( こおう ) して、各 郡 ( ぐん ) (1896年4月、郡区編成の 勅令 ( ちょくれい ) により国頭地方は国頭郡と改称) では地域の発展、農業の発展のために組合を 組織 ( そしき ) して道路の整備改修に 取り組むようになりました。このようにしてできた道は郡道、郡組合道路と呼ばれました。整備改修された郡道は 道幅が広く平らな道となり車の通れる道路として、人々に利用されました。