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やんばる国道物語

近代沖縄の道(1879年〜1945年)


(6/11)

国頭 街道 ( かいどう ) の開通

徒歩から車の通れる道に

 

各郡が道路整備・改修
 

 1908(明治41)年、従来の 間切 ( まぎり ) ・ 島 ( しま ) が町村に改められました(沖縄県及び 島嶼町村 ( とうしょちょうそん ) 制)。それまで国の負担で行われていた道路の予算が県費に移されました。 そのため県が直接道路 改修 ( かいしゅう ) を行えるようになり、以後、 急速に道路整備が進みました。王府時代の西宿を改修してできた 国頭街道 ( くにがみかいどう ) の改修には、県からの 寄付金 ( きふきん ) が割当てられただけでは なく、村の財産である 積立金 ( つみたてきん ) からも貸出され、 積極的 ( せっきょくてき ) に改修が行われました。
1915(大正4)年、県下最大の街道である国頭街道(那覇−今帰仁)が開通、後に名護までを国頭街道と 呼ぶようになります。 この県道整備に 呼応 ( こおう ) して、各 郡 ( ぐん ) (1896年4月、郡区編成の 勅令 ( ちょくれい ) により国頭地方は国頭郡と改称) では地域の発展、農業の発展のために組合を 組織 ( そしき ) して道路の整備改修に 取り組むようになりました。このようにしてできた道は郡道、郡組合道路と呼ばれました。整備改修された郡道は 道幅が広く平らな道となり車の通れる道路として、人々に利用されました。

   
名護、国頭郡の中心に
   国頭街道が開通した1915(大正4)年、国頭郡下では第三代郡長に就任した 朝武士干城 ( あさぶしかんじょう ) により、郡道七路線が計画、実行されました(左図参照)。計画線のうち、本部と今帰仁への道は 1916年度に完成しました。又名護から東海岸の 瀬嵩 ( せだけ ) までの道は17(大正6)年に着工しましたが、起伏が激しく 岩盤 ( がんばん ) が多いため 難 ( なん ) 工事で、 完成したのは翌年のことでした。
1920(大正9)年、国頭村 浜 ( はま ) と 大宜味村 田嘉里 ( たかざと ) を結ぶ 大国 ( おおくに ) トンネルが完成しました。21(大正10)年に 伊差川 ( いさがわ ) 〜 源河 ( げんか ) 間、 塩屋 ( しおや ) 〜 辺土名 ( へんとな ) 間の両区間が開通しました。しかし、開通したとは 言っても、全線で車が通るようになったわけではなく、自転車でも通れない箇所がなお残されていました 。
  七年をかけて名護を中心に 放射状 ( ほうしゃじょう ) の郡道七路線が完成しました。道路網が整備されたことにより名護は名実ともに国頭郡の中心地になりました。
  しかし、組合事業としての郡道には予算に限りがあり、1920年(大正9)年に国頭街道は指定県道になりました。
   
  主要街道とその里程
   主要街道とその里程街道とは首里・那覇を起点にした主要道路で、1910(明治43)年の『沖縄県統計書』によると、車が通れる街道は道幅が広い首里街道、与那原街道、佐敷街道と国頭街道の一部(那覇〜北谷)だけでした。
   
 
  1920(大正9)年頃の大宜味村喜如嘉の護岸工事の様子。
中央斜めに走っているのが郡道 [『喜如嘉の写真集』]
  国道街道と群道七路線計画
  国頭街道と郡道7路線計画(1915年)
   

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