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やんばる国道物語

近代沖縄の道(1879年〜1945年)


(7/11)

村民の力で道づくり

石川 いしかわ 金武 きん 宜野座 ぎのざ の道づくり

 

七日浜 なのかはま の改修
 

 郡道開通に先がけて、往来を便利にしようと金武では村民による道路の改修が行われます。 1897(明治30)年金武の初代間切長に 伊芸金次郎 いげいきんじろう が就任すると、在中(1897〜1901)に、 伊芸 いげい 屋嘉 やか の住民に呼びかけ、 七日浜 なのかはま 注1)の浜辺の内側に幅約一メートルの道を建設しました。 石川から金武間切の屋嘉に至るこの七日浜は、王府時代から 東宿 あがりじゅく が通っていた重要な道でしたが、歩行が困難で時間がかかる浜道でした。この住民が造った 道のおかげで石川からの交通が便利になったのです。
さらに計画されていた国頭郡の 郡道 ぐんどう 七路線のうち1918(大正7) 年、金武― 安富祖 あふそ (恩納村)線が開通しました。 道幅は3メートルの細い道でしたが、この郡道の開通により西海岸へ出ることが容易になり、名護や那覇への 往来が便利になりました。

   
村道の改修
   1920(大正9)年、 新里善助 しんざとぜんすけ 金武村長は、 普通市町村制 施行 しこう の記念事業として、屋嘉〜 古知屋 こちや (現、宜野座村松田)間の村道改修を計画・実行します。 村道は王府時代からの宿道でしたが、 けわ しい道で人や馬の往来もやっ とのことでした。
工事は1921(大正10)年に着工し、24(大正13)年に完成しました。その間、4万1868円の経費が 投じられましたが、土地代、人夫代は無料で提供されました。無賃で働いた人夫は、のべ三万二千人余にのぼり、 そのため貧しい家では、夜逃げをする者も出たというほど、多大の 犠牲 ぎせい の上にできた村道でした。村道の開通後は自動車や馬車などの往来が 頻繁 ひんぱん になり、物資の輸送、文化交流が一段と盛んになりました。
また、村道間を流れる川に1925(大正14)年から30(昭和5)年にかけて橋を 架設 かせつ し、いっそうの整備を図りました。その結果、屋嘉から 並里 なみさと 闘牛場までの三間の広さの道路は県道に認定され、闘牛場以北は郡道となりました。
しかし、古知屋から以北は山道で草がおい茂り、ハブと いのしし に注意し ながらかきわけて進まなければなりませんでした。
   
 
   
   
 
用語解説
(注1)七日浜
第一尚氏王統最後の王・尚徳一族が国頭へ逃げる途中、人目を避けて夜な夜な歩いて渡るのに七日かかったのがその由来だといいます。現在、大規模に埋め立てられ、商業地と姿を変えています。わずかに残る小浜原の岸辺に「七日浜の碑」が建てられています。
 
わずかに姿をとどめる現在の七日浜【ボーダインク】

 


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